沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2017年1月21日土曜日

西原町内間の集落北側にあるノロの住居跡とその周辺に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

西原町嘉手苅『ウフンミウタキ』を見学した後、次に向かったのは、嘉手苅区に隣接する内間区。

内間区の北側には、かつて内間ノロが住んでいたとされるノロ殿内をはじめ、いくつかの史跡が点在しています。

沖縄県中頭郡西原町内間にある

『内間ノロ殿内』

内間ノロ殿内の写真
内間集落の北側に位置する『内間ノロ殿内』

2017年1月19日木曜日

かつて神女の就任式が行われたと伝わる西原町嘉手苅にある御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南風原町の『アグーだし汁使用の店 ゆい食堂』で食事を終えた後、帰りがけに西原町の御嶽を見学しに向かいました。

こちらは、かつて神女の就任式が行われていた御嶽(ウタキ)なんだそうで、村の開祖である『夫婦』を祭った場所でもあるんだとか。。。

沖縄県中頭郡西原町字嘉手苅にある

『ウフンミウタキ』

ウフンミウタキの拝所の写真
ウフンミウタキの頂上には3つの拝所がありました。
こちらは、西原町の国道329号線県道38号線がぶつかる『小那覇』の交差点から、国道329号線を同町内間向けに約400mほど進むと、国道沿い左側にあります。
ウフンミウタキの写真
真正面の木々の後方の小高い丘が『ウフンミウタキ』
こちらには駐車場が無いため、御嶽に隣接する脇道沿いにクルマを停め、すぐさま見学開始。

御嶽入口は、丘の南側の国道沿いにあります。
ウフンミウタキの入口の写真
 『ウフンミウタキ』の入口
御嶽入口には、一つの拝所と標柱が立てられています。
ウフンミウタキの拝所と標柱の写真
『ウフンミウタキ』入口の拝所と標柱
この拝所の後方に、丘の上へと伸びる階段があり、そこから丘の頂上へ向かうことができます。
『ウフンミウタキ』の階段の写真
『ウフンミウタキ』入口の拝所後方にある階段
階段を上がって頂上へ行くと、そこは少し開けた場所となっており、広場のほぼ中央に拝所が1基、そして、その後方奥側に2基の拝所がありました。
ウフンミウタキの頂上の写真
丘の頂上の広場。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場のほぼ中央に位置する拝所
拝所に使用されているのは、珊瑚石らしいんですけど、かなり劣化しており、以前に補強を施してはいるようですが、今にも崩れそうになっていましたね。。。

西原町の公式HP『文化財:ウフンミウタキ』のページによると、『琉球国由来記(1713年編纂)』に記載されている大嶽(神名:真南風ノアナ真コチアナ真シラゴノ御イベ)に相当するものと思われるとのことです。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場北側にある2つの拝所
『ウフンミウタキ』は、内間集落の前に位置することから、『メーヌウタキ』と呼ばれているんだそうですよ。

また、かつては神女の就任式が行われていたんだそうで、就任式の際に神女に神の名が授けられるということで、『ウナージキヌウタキ』とも呼ばれたんだとか。

あと、この一帯からは、近世の陶磁器が採集されているとのことです。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場の北側に位置する拝所
ウフンミウタキの拝所の写真
「天地」と刻まれた拝所
珊瑚石が使用された拝所の後方にも拝所が2つあり、1基は祠状になっており、もう1基は大きな木の根元にあって「天地」と刻まれていました。

この広場には、この3つの拝所だけだったので、いったん丘を下りて、丘の後方へ行ってみることに。
ウフンミウタキの東側の写真
ウタキ東側
『ウフンミウタキ』の東側は、国道から集落へと続く脇道が隣接しており、丘の麓にはコンクリートブロック製の小さな構造物と水タンク(?)がありました。
ウフンミウタキの北側の写真
ウタキ北側
ウフンミウタキ北側の砂利道の写真
ウタキ北側の砂利道。
そして、ウタキ北側も、国道から入ってきた脇道からさらに分岐した砂利道がありました。

その砂利道を進んで行くと・・・
ウフンミウタキの拝所の写真
『ウフンミウタキ』北西に位置する拝所
その先にも、拝所が1基ありました。
ウフンミウタキの拝所の写真
『ウフンミウタキ』北西にある拝所
そして、この拝所のある場所から、ウタキを回り込むような感じで、西側へ行ってみると・・・
ウフンミウタキに隣接する砂利道の写真
『ウフンミウタキ』北西部から西側へ伸びる砂利道
そこには、拝所となっている『カー(井戸)』がありました。
ウフンミウタキの井戸の写真
『ウフンミウタキ』西側に位置する拝所となっているカー(井戸)
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の史跡へと向かいました。

『ウフンミウタキ』一帯は、木々が繁茂しているんですが、定期的に清掃活動を行っているらしく、比較的綺麗な状態が保たれており、とても見学しやすかったですね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

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☆『ウフンミウタキ』☆

☆場所:〒903-0102
      沖縄県中頭郡西原町嘉手苅 上之松

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

2017年1月17日火曜日

金武町金武にある村落共同の火神が祭り継がれてきた御嶽とノロ殿内☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回にご紹介した記事の続きです。

かつて『金武グスク』があったとされる『上ヌ毛(ウィーヌモー)公園』や金武公会堂前に保管されている『金武城門の石』などを見学した後、次に向かったのは、公会堂前の道を『金武町役場』向けにちょこっと進んだところにある丘。。。

こちらは、金武の村落共同の火神が祭り継がれてきた御嶽なんだとか。。。

沖縄県国頭郡金武町金武にある

『トゥムスズ御嶽』

トゥムスズ御嶽の写真
金武町指定文化財の『トゥムスズ御嶽』遠景。

2017年1月14日土曜日

かつて広大な地域を領していた金武町内で唯一確認されているグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

1月12日(月曜日)は、午後からちょこっと時間が空いたので、久しぶりに北部方面のグスク跡を散策しに出かけてきました。

今回向かったのは、金武町内にあるグスク跡。。。

こちらは、城壁や石垣などの遺構は残ってはいないんですが、唯一、グスクの城門に使用されていた石が保管されているんだとか。。。

沖縄県国頭郡金武町金武にある

『金武(ちん)グスク』

金武グスクの城門の石とサーターグルマの歯車の写真
金武公会堂前には、『金武グスク』の城門の石と『サーターグルマ』の歯車が展示されていました。

2017年1月9日月曜日

かつて『アンジナ』と称されていた島にあったとされるグスク跡と拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

昨年(2016年)の12月29日、前々回にご紹介した那覇市山下町にある『住吉神社』を出た後、最後に向かったのは、豊見城市にあるクルマで渡れる離島。

こちらは、一昨年(2015年)の11月に一度ご紹介したことがあるんですが、その時は、大まかな感じだったんですよ。
※以前ご紹介した過去記事はこちら⇒http://oki-night.blogspot.jp/2015/11/blog-post_26.html

んで、以前の記事ではご紹介出来なかった史跡などを、今回ご紹介させて頂きたいと思います。

沖縄県豊見城市瀬長にある
『瀬長グスク』
海中道路から見た瀬長島の写真
沖縄本島と瀬長島を結ぶ海中道路上から見た『瀬長島』

2017年1月3日火曜日

表筒男命・中筒男命・底筒男命の御三神が祀られている那覇市山下町の神社☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した那覇市国場の『がちまい処 すばやぁ』さんを出た後、次に向かったのは、同市山下町にある神社。。。

こちらは、昨年の6月にも1度訪れたことがあったんですが、その際、一ヵ所だけ撮影するのを忘れてしまってて、ブログに掲載するのを保留にしていたんですよ。

んで、その場所を撮影しに行く機会がなかなか無くて、掲載がかなり長引いてしまいました(泣)

・・・が、この日、時間に余裕があったんで、撮影しに行くことができ、よぉ~~~やっと掲載にこぎ着けました(笑)

沖縄県那覇市山下町にある
『住吉神社』
住吉神社の鳥居とシーサーの写真
神社入口には、沖縄の石獅子『シーサー』と鳥居が設置されていました。

2016年12月18日日曜日

浜比嘉島の比嘉区内に点在するノロ墓や拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、うるま市勝連の『浜比嘉島』にある『シルミチュー霊場』を見学した後、その帰る途中の道沿いで見つけた拝所やカー(井泉)がいくつかあったので、ちょこちょこ立ち寄りながら帰ることにしました。

沖縄県うるま市勝連の『浜比嘉島・比嘉区』にある

『ノロ墓と点在する拝所』

浜比嘉島のノロ墓の写真
比嘉集落の北西にある丘の中腹辺りにひっそりと佇む『ノロ墓』

2016年12月12日月曜日

琉球開闢の祖神『アマミキヨ』と『シネリキヨ』が居住地にしたと伝えられる洞窟☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

うるま市勝連の浜比嘉島にある『アマミチューの墓』を見学した後、次に向かったのは、この『アマミチューの墓』がある同じ比嘉集落の南南東にある森の中の洞窟。

こちらは、琉球開闢(かいびゃく)の祖神『アマミチュー』と『シルミチュー』が居住地にした場所だと言い伝えられており、子宝祈願・安産祈願のための霊験あらたかな聖地として知られています。

沖縄県うるま市勝連比嘉にある

『シルミチュー霊場』

シルミチュー霊場の写真
子宝祈願・安産祈願のために浜比嘉島以外からも多くの参拝者が訪れています。

2016年12月10日土曜日

浜比嘉島の『アマンジ』と呼ばれる小島にある神様達の祀られているお墓☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、沖縄市松本にある『大衆レストラン No.1』さんで食事を終えた後、ドライブがてら、うるま市勝連にある『浜比嘉島』まで行ってきました。

『浜比嘉島』には、神々が祀られているお墓だと伝えられる祠や霊場、遺跡、カー(井泉)など、30を超える拝所があるんです。

んで、今回は、『浜比嘉島』の比嘉区にあるお墓やカー(井泉)、霊場など数か所を見学してきました。

まず最初に向かったのは、比嘉区の海辺にある小島。。。

こちらには、神々が祀られていると伝えられるお墓があるんです。

沖縄県うるま市勝連比嘉にある

『アマミチューの墓』

アマミチューの墓の写真
女神『アマミチュー』と男性神『シルミチュー』の男女二神、及びその他の神が祀られていると伝えられているお墓。

2016年12月3日土曜日

豊見城市保栄茂にある南山の出城的な役割を担った城砦と推測される城跡☆

ハイサぁ~イ✋😃

この前、那覇市首里石嶺町の『そば かねもり家 石嶺』さんで腹ごしらえした後、豊見城市にあるグスク跡を見学しに向かいました。

こちらのグスクは、かの三山時代、中山に対峙するための第一線の拠点『瀬長』・『豊見城』・『長嶺』の各グスクに対し、南山グスクからの中継地としての役割を担う出城だったのでは・・・と考えられているんだそうで、沖縄の伝統的な歌舞劇『組踊』の『未生の縁』の舞台にもなっているんだそうです。


沖縄県豊見城市保栄茂にある

『保栄茂(びん)グスク』

組踊・未生の縁ゆかりの地碑の写真
グスクの頂上入口向かいには、組踊『未生の縁』ゆかりの地碑が立てられてました。

2016年11月28日月曜日

築城中に破壊を命じられたという伝承が残る八重瀬町新城のグスク跡☆

ハイサぁ~イ✨

一昨日(26日)、南城市玉城船越の『沖縄そば 金太郎』さんで食事を終えた後、まだ少し時間に余裕があったので、帰りがけにお隣の八重瀬町にあるグスク跡を見学しに向かいました。

ネットでちょこっと調べてみると、そのグスクは、築城してる途中に、首里王府から破壊するよう命じられたとの伝承が残されているんだとか。。。

沖縄県島尻郡八重瀬町新城にある

『新城(あらぐすく)グスク』

現在は、『新城神社』となっており、敷地には鳥居とお宮が建立されています。

2016年11月18日金曜日

北中城村仲順の舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓のある御嶽☆

ハイサぁ~イ☆

今月16日(水曜日)、前回ご紹介した沖縄市泡瀬にある『めん処 幸』さんで食事を終えた後、まだ少し時間があったので、帰りがけに北中城村仲順にある御嶽を見学しに立ち寄りました。

こちらは、御嶽内に大きな琉球石灰岩があり、その上部に、舜天王統の開祖とされる琉球国王や、その2代目の王、そして舜天王統最後の王の三王が葬られたとされる御墓があるんだそうです。

沖縄県中頭郡北中城村仲順にある

『ナスの御嶽』

ナスの御嶽の写真
舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある『ナスの御嶽』
こちらは、まず北中城村の国道330号線県道81号線がぶつかる『石平』の交差点から、県道81号線を同村渡口向けに進み、約1.9㎞ほど進んだ所にある『琉球銀行北中城支店』のある交差点を左折します。

そして、そこから道なりに約540mほど進んで行くと、道沿い右側にあります。
ナスの御嶽の写真
道路上から見た『ナスの御嶽』
こちらには、駐車場が無いので、近くの路肩に少しばかり路駐させてもらってから見学開始。

御嶽内に、説明が記載されていたであろう石板が無くなっていたので、後日、北中城村の公式HPにて、その由来などを閲覧させて頂くと・・・

≪仲順の集落のはずれから屋宜原へ向かう道路沿い、水道タンクの南側の杜がナスの御嶽である。

『琉球国由来記』(1713年編集)によるとここに祀られている神は「ナスツカサ御イベ」で、安谷屋ノロが祭祀を掌っていた。

御嶽の中にある琉球石灰岩の大岩が御嶽の本体(イベ)だと考えられる。

この岩の上には、舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある。

仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、御嶽を「腰当て」として南側に発展していったといわれる。

平成7年6月16日に村の史跡に指定された。
(北中城村公式HP「平和で活力ある田園文化村」のページより引用)≫
・・・と記されていました。
ナスの御嶽の写真
入口を入って正面から見た『ナスの御嶽』
道路から階段を上がり、立派な門の前まで行くと、門の前に立派な香炉が置かれており、門の両サイドには灯籠がありました。

そして、門の後方には、説明にもあった大きな琉球石灰岩があり、岩の根元に石が積まれ、そのすぐ横に石板が置かれていました。
ナスの御嶽の香炉の写真
門の前に設置されていた立派な香炉
まず、説明の中に出てきた『舜天』という人物なんですが、琉球二番目の『舜天王統』の開祖とされている琉球国王です。

在位は1187年~1237年で、元々は浦添按司だったようです。

この『舜天王統』は、実在していたことを証明する史料などは存在しないんだそうですが、『中山世鑑』や『中山世譜』などの正史では、『初代琉球国王』と位置づけられているんだそうですよ。

※『中山世鑑』とは薩摩支配下において書かれた琉球王国の初めての正史です。また、『中山世譜』とは琉球王国の代表的な歴史書の一つで、漢文で書かれた歴代国王の電気を中心とし、中国との関係を中心にまとめられた部分(正巻)と、薩摩藩など日本との関係を中心にまとめた部分(附巻)とに分かれている書物です。
(Wikipedia『中山世鑑』と『中山俯瞰』のページより引用)
ナスの御嶽後方にある琉球石灰岩の写真
門の後方にあった琉球石灰岩の大岩。根元に石が積まれており、その横に石板が置かれてました。
舜天王・舜馬順熈之墓の写真
舜天王・舜馬順熈王之墓(?)と刻まれた墓碑
そして、お次は『舜馬順熈(しゅんばじゅんき)』という人物なんですが、『舜天』の長男で、『舜天王統』の2代目の王です。

在位は、1238年~1248年となっているんだそうです。
舜天・舜馬順熈・義本の三王の墓の写真
木々に覆われて見えにくくなっていますが、大岩の頂上部に石柱の先っぽが見えました。
んで、最後の『義本』という人物ですが、2代目国王である『舜馬順熈』の子と伝えられており、『舜天王統』最後の国王です。

在位は、1249年~1259年となっているんですが、在位中に天災や疫病が沖縄本島各地で発生してしまい、責任は自身にあるとし、その責任を取って退位して、『英祖』に王統を譲位したんだそうです。

また、譲位した後の義本の消息は不明となっているみたいですね。(Wikipedia『義本』のページより引用)
ナスの御嶽の標柱の写真
新しく設置された『ナスの御嶽』の標柱
標柱の横に立て掛けられていた石板の写真
新しく設置された標柱の横に立て掛けられていた石板。
・・・と、ちょっとここで、一つ疑問が出てきたんですが、沖縄本島北部の国頭村辺戸にも、『義本王の墓』があるんですよ。

しかも、2013年2月20日に国頭村教育委員会が、国頭村反吐にある『義本王が葬られたと伝わる墓の室内から甕に入った人骨5~6柱と装飾品などが発見されたと同年同月の21日のローカル新聞にて発表されています。

同新聞の記事によると、県内複数ヵ所に『義本王』が葬られれているとされる墓があるらしいんですが、この国頭村辺戸の御墓の発掘品の分析が進めば、辺戸に葬られたことが裏付けられる可能性が高まるとのことです。

もし、この記事の分析が進み、『義本王』が葬られた御墓が、国頭村辺戸の御墓であることが立証されれば、こちらの御墓に葬られている王は、『舜天』と『舜馬順熈』の二人ってことになりそうですね。。。
※ワタクシも、国頭村辺戸にある『義本王の墓』には、まだ行ったことがないので、今度、本島北部へ行った時に、立ち寄ってみたいと思います。
ナスの御嶽の写真
標柱側から見た『ナスの御嶽』
・・・と、ついつい三人の王様の話に逸れてしまいましたが、現在は、『ナスの御嶽』の後方にある大岩には立ち入ることができませんが、以前は、門から岩の上部まで石段があったようです。

・・・が、画像を見る限り、階段がかなり劣化していたようで、どうやら取り壊して撤去したみたいです。

・・・とゆーわけで、『ナスの御嶽』を見学できるのは、この門の前にある前庭部分しかないので、この日は、ここまでにして御嶽を後にしました。

後日、この『ナスの御嶽』を調べていくと、御嶽のある北中城村仲順や隣接する同村喜舎場には、拝所やカー、御嶽などが多く点在していることがわかったんですよ。

なので、また機会を設けて、この仲順・喜舎場を散策してきたいと思っております。

それでは、今回はちょっと短めですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『ナスの御嶽』☆


☆場所:〒901-2303
      沖縄県中頭郡北中城村仲順

☆見 学:無料

☆駐車場:ナシ

2016年11月13日日曜日

那覇市・末吉公園の森に点在する拝所とホタル鑑賞が楽しめる橋☆

ハイサぁ~イ☆

以前、那覇市首里末吉町の末吉公園内に点在する拝所や史跡『末吉宮』、そしてその後方にある聖域『子ぬ方』などを3回に分けてご紹介してきましたが、今回も、その続きです(笑)

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園にある

点在する拝所と『滝見橋』

滝見橋
末吉公園の東側に位置する『滝見橋』

2016年10月30日日曜日

琉球八社の一つ『末吉宮』を囲むようにして形成される一大聖地☆

ハイサぁ~イ☆

今回は、以前ご紹介した『末吉宮』の記事の続きです。

『末吉宮』の下にあるトンネルを抜け、左奥の方へ向かうと、岩壁の上へと続く階段があったので、そちらへ行ってみることにしました。

沖縄県那覇市首里末吉町の『末吉宮』の奥にある

『子ぬ方(にぬふぁ)

那覇市首里大名町側にある『子ぬ方』の入口。

2016年10月22日土曜日

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある琉球八社の一社☆

ハイサぁ~イ☆

以前、那覇市首里末吉町の末吉公園内にある『宜野湾御殿の墓』『玉城朝薫生誕三百年記念碑』などを見学して回った後、今度は同じ公園内にある琉球八社のひとつである神社とその周辺にある拝所などを見学しに向かいました。

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある

『末吉宮』

末吉公園の森の中に佇む『末吉宮』

2016年10月14日金曜日

那覇市の末吉公園内にある王子家の墓とその周辺にある拝所☆

ハイサぁ~イ☆

先週木曜日(6日)、ヨメさんに送迎を頼まれ、南風原町方面へ出かけた際、ヨメさんの用事が終わるまで、ちょこっと史跡などを散策しようと思い、那覇市首里末吉町にある公園へ行ってみることにしました。

こちらは、広大な敷地内に広場や遊具が設置されている遊び場などの他に、神社や拝所、石碑などの史跡も点在しているんですよ。

ただ、広い範囲に多くの史跡が点在しているので、限られた時間内で、どれくらい回ることが出来るのか分かりませんでしたが、回れるだけ回ってみようと思い、今回、とりあえず訪れてみたとゆーわけなんです(笑)

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある
『宜野湾御殿の墓とその周辺にある拝所』
末吉公園の森の中にひっそりと佇む『宜野湾御殿の墓』。

2016年9月25日日曜日

1597年に尚寧王の命によって造られた浦添市安波茶にある石造のアーチ橋と石畳道☆

ハイサぁ~イ☆

この前、浦添市沢岻に点在する史跡を見学した後、帰る途中に同市安波茶にある史跡に立ち寄りました。

こちらは、かつては首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として多くの人が往来し、また、国王もこの道を通って現・宜野湾市普天間にある『普天間宮』に参詣したんだとか。。。

沖縄県浦添市安波茶にある
『安波茶橋と石畳道』
かつてこの道は首里城と中頭・国頭方面を結ぶ幹線道路として人々の往来で賑わっていたんだそうです。

2016年9月22日木曜日

18世紀頃に造営されたとされる第二尚氏14代国王・尚穆の第二子・尚図を祖とする浦添市内最大級の浦添家の亀甲墓☆

ハイサぁ~イ☆

今回も、浦添市沢岻に点在する史跡をご紹介させて頂きます。

前々回、『沢岻樋川』と『今帰仁代・安謝墓』を見学した後、最後に向かったのは浦添市内最大級と推定される第二尚氏14代国王『尚穆(しょうぼく)』の第二子『尚図(しょうと)』又の名を『浦添朝央(うらそえちょうおう)』を祖とする亀公墓を見学しに向かいました。

沖縄県浦添市沢岻にある
史跡  浦添御殿の墓(うらそえうどぅんのはか)
浦添市内最大級の亀甲墓『浦添市指定文化財  史跡  浦添御殿の墓』

2016年9月20日火曜日

沢岻部落発祥のころから地域の人々に重宝されてきた由緒ある井泉と『沢岻遺跡』の南側に位置する古墓☆

ハイサぁ~イ☆

昨日(19日)の午後、那覇市首里石嶺町にある『そば処  あんまー』さんで美味しい沖縄そばを食べた後、天気も良かったので、また浦添市沢岻に点在する史跡を見学しに行ってきました。

沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻樋川(たくしひーじゃー)
現在でも綺麗な水を湛えていました。

2016年9月18日日曜日

かつては区内に点在していた各拝所を宅地造成によって一ヵ所に合祀した拝所とその隣に建立された慰霊塔☆

ハイサぁ~イ☆

前々回、浦添市沢岻の『中の殿』と『金満御嶽』を見学した後、『金満御嶽』から区内を東向けに行った場所にある拝所へと向かいました。

こちらは、かつては沢岻区内に点在していた各拝所が、宅地造成によって一ヵ所に合祀された拝所なんだそうです。

沖縄県浦添市沢岻にある
『沢岻拝所』
立派な祠の中に7基の拝所が合祀されており、その後方の塀にも8基の拝所が合祀されていました。

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