うるま市与那城屋慶名のイシマシムイの丘上にある『与那城監視哨跡』☆|沖縄放浪日記

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2018年10月14日日曜日

うるま市与那城屋慶名のイシマシムイの丘上にある『与那城監視哨跡』☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(10月)の3日、沖縄市中央の『一番街』にある『たこ焼き ちゃんぽん』さんで食事を終えた後、まだ少し時間があったので、以前から足を運んでみたかった勝連半島にある戦跡へ行ってみることにしました。

沖縄県うるま市与那城屋慶名にある

『与那城監視哨跡』

与那城監視哨跡の写真
イシマシムイの丘の上にひっそりと佇む『与那城監視哨跡』。
こちらは、うるま市の県道37号線と10号線が交差する『屋慶名(西)』の交差点から県道37号線を同市与那城屋慶名向けに進み、約850mほどの距離右側にある細い脇道へ右折します。

そして脇道に入って道なりに約62mほど進んでいくと、左側に丘の上へと伸びる防災路があるので、その奥にあります。
与那城監視哨跡の写真
県道37号線から細い脇道を入ってきたところ。
『与那城監視哨跡』の入口は、地域の防災路にもなっているようで、その近くにあった空きスペースにクルマを停めさせてもらい、さっそく見学へと向かいました。
与那城監視哨跡の写真
『与那城監視哨跡』の入口。この遊歩道は地域の防災路にもなっているようです。
この日は、台風一過ということもあって、暴風で吹き飛ばされた葉っぱや折れた木の枝などが防災路上に散乱してましたね。。。
与那城監視哨跡の写真
防災路沿いに設置されていた『与那城監視哨跡』の説明板。
防災路を進んでいくと、左側に『与那城監視哨跡』の説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。

≪与那城監視哨跡≫
≪与那城監視哨は、航空機を早期に発見し、敵味方を区別して防空機関に知らせるための施設で、屋慶名のイシマシムイの丘上にあります。
与那城監視哨跡の説明板の写真
『与那城監視哨跡』の説明板。
正八角形のコンクリート製で、入口以外の7つの壁面にはひとつずつ窓枠があり、360度見渡せる構造になっています。外側の窓枠から下の部分は土に埋まっています。

当時、沖縄県内には11ヵ所の防空監視哨が設置されており(那覇、糸満、本部、金武、国頭、嘉手納、宮古、八重山、西表、久米島)、本監視哨もその一つです。
与那城監視哨と與那城村役所の写真の写真
説明板に掲載されていた『与那城監視哨』と『與那城村役所』の写真。
本監視哨で任務に就いていた方の証言によると、監視哨が最初に出来たのは1938年(ッ昭和13年)頃で、雨戸を6枚立てただけの簡単な作りであったようです。

1943年(昭和18年)にコンクリート製に建て替えられたようです。
与那城監視哨跡の写真
説明板の右側に、丘の上へと伸びる獣道があり、監視哨はこの奥にあります。
1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)では、敵機来襲を最初に発見したとして、当時の泉沖縄県知事から感謝状が贈られたそうです。

壁面には沖縄戦当時銃撃を受けたときの弾痕が、今でも残っており、戦争遺跡として貴重な文化財です。
設置:うるま市教育委員会≫
・・・とありました。

また、うるま市の資料『広報うるま』の2010年6月号によると、当時、監視哨内には、電話機や双眼鏡、時計、方位版、防寒具、航空機器識別飛行機の模型、羅針盤などが置かれていたんだそうで、これらの備品は全て国の負担で設置されていたんだそうですよ。
(※参考⇒うるま市『広報うるま No.63:2010年6月1日号』)
与那城監視哨跡の写真
説明板が設置されたところから防災路を進んできたところ。落葉や折れた枝が山積してました。
説明を読み終えた後で、監視哨を見学しに向かったんですが、当初、監視哨はこの防災路の奥にあると思い、つい防災路の奥まで進んぢゃったんですよ(笑)。

んで、防災路を奥へ進んでいくと、台風(24号)が過ぎ去った後でまだ手付かずの状態でそのまま放置されており、落葉や折れた木の枝が防災路上に山積しておりました。

きっとこの一帯も、風が相当強かったんでしょうね。。。
防災路の終点。
ほいで、すぐに防災路の終点に着いたんですが、こちらも荒れた状態になっていたんですが、辺りを見渡してみると、どこにも監視哨跡がない・・・とゆーことは、説明板の右側にあった獣道の先に監視哨があることに、ここでようやっと気づきました(笑)。

なので、一旦説明板まで戻り、その右側の獣道を上がっていくことにしました。
与那城監視哨跡の写真
説明板の右側にある獣道。こちらもあっちこっちに折れた枝が道を塞ぐように落ちてました。
防災路から獣道を上がると、すぐ左側に道が折れており、そこをさらに進んでいくと、今度は右へ折れて丘の上へと続いてました。
与那城監視哨跡の写真
防災路から上がってきたところ。この先に監視哨跡があります。
その丘の上へと続く獣道の先に、探していた『与那城監視哨跡』の屋根がチラッと見えました。
与那城監視哨跡の写真
獣道の途中から丘の上を見たところ。生い茂る木々の向こうに監視哨の屋根が見えます。
与那城監視哨跡の写真
生い茂る草木の囲われた『与那城監視哨跡』。
生い茂る草木をかき分けながら(笑)、監視哨がある丘の上へ進んでいくと、説明にあったように正八角形のコンクリート製の監視哨が現れました。
与那城監視哨跡の写真
『与那城監視哨跡』の全景。
監視哨は、劣化がかなり進んでおり、今にも崩れてしまいそうな感じがしましたね。。。

んで、監視哨に近づいてみると、説明にあった通り、監視哨の壁面には大小様々な無数の弾痕がそのまま残されていました。
与那城監視哨跡の写真
窓枠の上部にあった弾痕。
与那城監視哨跡の弾痕の写真
弾痕。
窓枠から監視哨跡の内部を覗き込んでみると、中は思いのほか綺麗な状態が保たれており、落葉が少しばかりあったものの、雑草などは生えていませんでした。
与那城監視哨跡の写真
監視哨跡の内部。落葉などがあるものの、なかなか綺麗な状態が保たれていました。
また、天井部分を見てみると、中央に1本の柱が宙づりになった状態で残されており、下の部分は朽ち果ててしまったのか、あるいは破壊されてしまったのか定かではありませんが無くなっていました。
与那城監視哨跡の写真
天井の中央にあった柱。下部3分の2程は無くなっていました。
ほいで、監視哨を左側からクルッと回り込んで、出入口と思われるところに移動したんですが、出入口前は雑草が繁茂してて真正面に立つこと出来なかったので、その手前側から見学しました。
与那城監視哨跡の写真
『与那城監視哨跡』の出入口。こちら側はさらに劣化が酷い感じでした。
与那城監視哨跡の写真
出入口上部にも弾痕が多数ありました。
出入口側は、反対側の窓枠よりも劣化が酷いように見受けられ、弾痕に加えてヒビが多数入ってました。

ってか、表側だけでなく、こちら側にも無数の弾痕があり、当時の戦闘の激しさがヒシヒシと伝わります。
与那城監視哨跡の写真
出入口横の窓枠にあった弾痕。
与那城監視哨跡の写真
監視哨のあちらこちらに弾痕が残っていました。
監視哨の西側は藪が深くて確認出来ませんでしたが、監視哨のほとんどの壁面に弾痕が残されており、沖縄戦当時、四方八方から狙われていたのがよく分かります。。。

まぁ、"防空監視哨"ですからね。

敵に狙われやすい目立つ場所に設置されていたので、当然といえば当然ですが。。。
与那城監視哨跡の写真
監視哨がある丘の上からは平安座島や浜比嘉島など、遠くの方まで見渡せましたよん。
・・・と、監視哨を見学し終えた頃にポツポツと小雨が降り始めてきたので、急いで来た道を戻ってクルマに乗り込み、この日はそのまま帰路に就きました。

沖縄戦の際に設置された"防空監視哨"は、今回ご紹介した『与那城監視哨』を含め11ヵ所あると、現地に設置されていた説明板にありましたが、また時間を設けて、現存しているその他の"監視哨"も見学しに行ってみたいですね。

それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『与那城監視哨跡


☆場所:〒904ー2304
      沖縄県うるま市与那城屋慶名1090

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。