天孫氏最後の王『英祖王』の第三子『中城王子』の居城と伝わるグスク跡☆|沖縄放浪日記

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2018年10月21日日曜日

天孫氏最後の王『英祖王』の第三子『中城王子』の居城と伝わるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(10月)の10日は、午後から久しぶりに北中城村の史跡を見学しに行ってきました。

今回足を運んだのは、北中城村の字荻道・字大城の両集落で、2つのグスク跡をはじめ、井泉や拝所などが点在しているんですが、まず最初にご紹介するのは、両集落の北側にある丘陵上に位置する2つのグスク跡の内の1つです。

沖縄県中頭郡北中城村大城にある

『大城グスク(うふぐしくぐすく)

大城グスクの写真
グスク域の主郭北側にある『大城御嶽』(右側)と三角錐状の琉球石灰岩の岩(写真中央)。
こちらは、北中城村の県道146号線と81号線がぶつかる『安谷屋』の交差点から県道146号線に入り、同村荻道向けに約1.5㎞ほど進んでいくと、県道沿い左側に『チブガー庭苑』という小さな公園があり、その後方の丘陵上にあります。
大城グスクの写真
県道146号線から見た『大城グスク』へと続く道の入口。その左側には『チブガー庭苑』があります。
県道から『チブガー庭苑』横の小道に入ると、すぐに道が左右二手に分かれており、そこを左へと進むんですが、ここには車両進入禁止のためのチェーンがかけられているので、ここからは徒歩で向かいます。
大城グスクの写真
『チブガー庭苑』横の道路から『大城グスク』側を見たところ。
ちなみに、グスク跡を見学した後は、大城・荻道の両集落内に点在する井泉や拝所などを見学しに行く予定だったので、クルマは『大西テェラスゴルフクラブ』近くにあった空きスペースに駐車し、そこから歩いてきました。
大城グスクの写真
『チブガー庭苑』後方の道路を上がって来たところ。前方の森がグスク域となっています。
車両進入禁止のチェーンから丘陵の頂上に向かって歩いていくと、左前方に木々が生い茂る森が見えてきます。

この森は、地元では「上の杜」と称されているらしく、標高150m~165mの丘陵上に位置しており、最後部は北中城村内で一番高い場所となるんだそうですよ。
(※参考⇒北中城観光ポータルサイト KITAPO『大城グスク(うふぐしくぐすく)』)
大城グスクの写真
グスク域の入口。
道路を上がっていくと、左側に立派な石垣があるんですが、その石垣左側から森の中へと続く獣道があったので、そちらからグスク域へと進入しました。
大城グスクの写真
グスク域内に立つ木の根元にあった石積み。
獣道を入って行くと、右側の傾斜地に崩れたような石積みや奇岩などがありました。

この日は猛威を振るった台風25号が通過してまだ数日くらいしか経っておらず、森の至る所に折れた木の枝や落葉などが散乱してました。。。
大城グスクの写真
グスク域内にあった琉球石灰岩の奇岩。
大城グスクの写真
石垣の上に、暴風で倒されてしまったであろう木。
しかし、以前ご紹介したうるま市与那城屋慶名の『与那城監視哨跡』の周辺よりは、それほど酷くはありませんでしたね。
大城グスクの写真
主郭へと続く獣道上にも倒されてしまった木々がありました。
んで、獣道をさらに上へ上っていくと、小さな広場らしき場所に辿り着いたんですが、どうやらこちらがグスクの主郭となっているようです。
大城グスクの写真
獣道の先にあったグスクの主郭と思われる小さな広場。
主郭に入ると、その北側に先の尖った石灰岩の奇岩が立っており、手前右側の石灰岩の根元には古い小さな香炉が数基置かれていました。

北中城観光ポータルサイト『KITAPO』内の『大城グスク(うふぐしくぐすく)』のページを読んでみると、グスク域内には『大城御嶽』という拝所があるとのことですが、どうやらこちらがその『大城御嶽』となっているようですね。
大城グスクの写真
主郭の北側。右手前にある石灰岩の根元に数基の香炉が置かれていました。
また、戦前まではグスクの石積みが残っていたようですが、戦時中に取り壊されたという話もあるんだそうです。

Googleearthで作成された北中城村の資料『北中城村の遺跡・文化財(暫定)』を見てみると、グスク域内に『旧日本軍機関銃座跡』と記されており、沖縄戦の際、こちらには旧日本軍の部隊が配備されていたようですね。
大城グスク 大城御嶽の写真
根元に数基の香炉が置かれた拝所。こちらが『大城御嶽』と思われます。
大城グスク 大城御嶽の写真
岩の根元に置かれていた古い数基の香炉。
また、自分が訪れた際には見つけることが出来ませんでしたが、グスク域内には古墓も点在しているとのことで、その中には15世紀の琉球王国の武将『鬼大城(大城賢雄)』の墓と称される古墓もあるのだそうですよ。
(※参考⇒Wikipedia『越来賢雄』(鬼大城・大城賢雄))
大城グスクの写真
『大城御嶽』の左後方にある三角錐状の一際大きい琉球石灰岩。
この『大城御嶽』の岩の左後方にも同じような形をした一際大きい石灰岩があるんですが、その根元にも祭壇のように作られた場所があり、こちらも"拝所"っぽかったんですが、こちらには香炉は置かれていませんでしたね。
大城グスクの写真
大きな石灰岩の根元にあった祭壇のような場所。
『大城御嶽』と"拝所"らしき石灰岩を見学した後、今度はこの2つの石灰岩の向かい側にある獣道の先へ行ってみることにしました。
大城グスクの写真
ちょ~っと分かりにくいですがw、『大城御嶽』の向かい側にあった2つの獣道。
まずは左奥へと伸びる獣道へ向かおうと思ったんですが、折れた木の枝や倒木などが道を塞いでしまっており、とてもぢゃないけど先へ進むことは出来ず、あえなく断念。。。

んで、もう一方の右奥へと伸びる獣道は、比較的歩きやすそうだったんで、こちらの先へ行ってみることにしました。
大城グスクの写真
獣道の途中にあった石灰岩の穴に納められていた古い厨子のような人工物。
・・・が、こちらも途中から折れた枝や倒木、落葉などが道を塞いでしまっており、底から先へ進むことは困難だったので引き返そうとすると、獣道から少し離れた場所に石灰岩の自然に出来た小さな穴があり、その中に古い厨子のようなものが納められた場所を偶然発見しました。
大城グスクの写真
自然に出来た石灰岩の穴に納められていた古い厨子のようなもの。
後日、ネットでいろいろ調べてはみたんですけど、こちらについては何も情報が出て来ず、こちらが"古墓"なのか、あるいは"拝所"なのか詳細は不明です。。。

この厨子のようなものが納められた場所まで見学した後は、引き返して一旦グスク域を出ました。
大城グスクの写真
グスク域の北東側。むき出しの石灰岩が点在していましたが、こちら側には"拝所"などはありませんでした。
グスク域を出ると、向かい側に大きな貯水タンクがあるんですが、その左手前に駐車場っぽい広場があり、その西側からグスク域の北東側を見学することが出来ました。

北東側は石灰岩がむき出しになっていて、こちらからも先程の主郭へ向かうことが出来そうではあったんですが、道の途中、草木が生い茂っていて、それ以上進むことが出来なくなっていました。
大城グスクの写真
『大城グスク』の北東側から沖縄市方面を見たところ。
先程も少しお話しましたが、この『大城グスク』は標高150m~165mほどの高い場所に位置しており、北側は遮るものが何もないため、沖縄市方面を一望することが出来ました。
大城グスクの写真
沖縄市泡瀬~勝連半島方面。眼下に見えるのは『大西テェラスゴルフ』です。
ここまで見学させて頂いた後は、『大城グスク』の東側で先程の貯水タンクの裏手に位置するグスク跡を見学しに向かいました。

北中城観光ポータルサイト『KITAPO』の『大城グスク(うふぐしくぐすく)』のページによると、『大城グスク』は天孫氏最後の王『英祖王』の第三子『中城王子』が住んでいたとの言い伝えがあるそうなんですが、護佐丸の弟『安里大親』が居城していたという言い伝えや、『台グスク』の城主であった護佐丸の兄『伊寿留按司』の居住跡であったという言い伝えも残されているんだそうですよ。

・・・と、今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『大城グスク(うふぐしくぐすく)

☆場所:〒901ー2314
      沖縄県中頭郡北中城村大城

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。