名護市の真喜屋集落内にある津波被災地跡の石碑と市指定文化財のサガリバナ☆|沖縄放浪日記

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2018年2月11日日曜日

名護市の真喜屋集落内にある津波被災地跡の石碑と市指定文化財のサガリバナ☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、名護市の真喜屋集落内にある『上之御嶽遺跡(真喜屋グスク)』をはじめとする拝所群をご紹介しましたが、後日、いろいろ調べていると、2、3ヵ所見落としていた史跡があったので、今月(2月)の3日に本島北部へ出かけた際、帰りがけに残りの史跡をちょこっと見学してきました。

沖縄県名護市真喜屋にある

『津波被災地跡・真喜屋のサガリバナ・つるかみ拝所』

旧真喜屋小学校津波被災地跡の写真
『津波被災地跡』の石碑が建立されている『真喜屋運動広場』。
まず最初に向かったのは、名護市真喜屋にある『真喜屋運動広場』です。

こちらはかつて『真喜屋小学校』があった場所なんだそうですが、昭和35年5月に南米チリ中部の近海で地震が起き、その地震で発生した大津波が日本海沿岸まで到達し、その時『真喜屋小学校』の全校舎・校地が破壊されてしまったんだそうです。。。
津波被災地跡の写真
『真喜屋運動広場』内に建立されている『津波被災地跡』の石碑。
こちらは、名護市の国道58号線県道110号線が交差する『真喜屋』の交差点から、県道110号線屋我地島向けに約100mほど進むと、県道沿い右側にあります。

『真喜屋運動広場』内の県道側に津波被災地跡を示す石碑が建立されています。

そこに刻まれている碑文を読んでみると・・・
≪津波被災地跡≫
≪一九六〇ねん(昭和三五)五月二三日午前四時十一分ごろ南米チリ中部の近海でマグニチュード八.五の地震が起き大津波が発生した。

津波は時速約七二〇km(秒速約二〇〇m)の速さで太平洋を横断 翌二四日未明には日本沿岸を襲い、死者一三九人を出した。

沖縄では、同日午前五時三〇分ころからおもに久志村・羽地村(現名護市)石川市等で数回にわたって来襲、甚大な災害を被った。
真喜屋運動広場の写真
石碑の後方には競技場のトラックが広がっています。
当地には、真喜屋小学校があったが、津波によって全校舎・校地が破壊され校地移転を余儀なくされた。

地域では死者三人、学校裏の護岸及び屋我地大橋(百四六m)奥武橋が全壊した。

この被災を教訓として地震・津波の防災のために生かしたい。≫
・・・とありました。

『真喜屋小学校』の沿革概要を見てみると、『真喜屋小学校』は被災した年の翌年(昭和三六年)の六月にハヂャナ森という現在の場所(名護市真喜屋571)に移転されたんだそうですよ。(真喜屋小学校の公式HP内にある沿革には「昭和35.7 ハヂャナ森へ移転」と記載されていました。)
(※参考⇒真喜屋小学校 公式HP内「沿革」,津波ディジタルライブラリィ内の地図検索内『名護市 旧真喜屋小学校』)

この『津波被災地跡』の石碑を見学した後は、真喜屋集落内へと移動しました。
舞香花 サガリバナの写真
名護市指定文化財(天然記念物)『舞香花(もうかばな)』(サガリバナ)の樹木が生育する場所。
真喜屋集落内を流れる水路沿いに名護市の文化財(天然記念物)に指定されている『舞香花(もうかばな)』(又はサガリバナ)』という樹木が生育する場所があります。
(※参考⇒Wikipedia『サガリバナ』)
舞香花 サガリバナの写真
『サガリバナ』の樹木が生育する場所に建つ建物に設置されていた看板。
『舞香花』の木々が立つ場所には瓦屋根の建物が建てられており、そこに『名護市指定文化財(天然記念物) 舞香花(サガリバナ)』と記されていました。
舞香花 サガリバナの写真
水路沿いに『真喜屋のサガリバナ』の説明板が設置されていました。
そして、その建物の横から敷地の奥へ進んでいくと、水路を挟んで向かい側の斜面に『真喜屋のサガリバナ』と題された説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・

名護市指定文化財(天然記念物) 真喜屋のサガリバナ≫
≪平成10年2月20日指定≫
≪真喜屋のサガリバナは、真喜屋の集落内を流れる水路のふちに生育し、地元では「モーカバナ」と呼ばれ親しまれています。

樹木の大きさはわが国で最大級のものと思われ、夏、花の時期には独特の香りのする花を咲かせ、花序の長いものでは1mを越えるものも観察されており、夕方より咲き始める花は幽玄で見るものを圧倒します。
真喜屋のサガリバナの説明板の写真
『真喜屋のサガリバナ』の説明板。
樹高6m、胸高直径64㎝、推定樹齢はおよそ150年。

サガリバナ(Barringtonia rasemosa Spreng.)はサガリバナ科の常緑小高木で、6月から7月頃、葉の間から長さ50~70㎝の穂状の花序をたらして、たくさんの花をつけます。サガリバナの和名はこれからつきました。
舞香花 サガリバナの写真
敷地内を流れる水路の建造物にも『舞香花』と書かれた看板が設置されていました。
夜の星空の下、豪華な花を咲かせ、地域に華やかさを与える樹木を市民の財産として大切に保存していきましょう。≫
・・・と、記されていました。

水路と建物の間を通り、敷地奥へと進んでいくと・・・
舞香花 サガリバナの写真
建物の裏側に建つ『舞香花』(サガリバナ)の樹木。
『舞香花』(サガリバナ)の樹木が立っていました。

・・・が、先程の説明にもあったように『舞香花』(サガリバナ)が開花する時期は、夏の6月~7月頃となっているので、もちろんこの時期は開花しているはずもなく、残念ながら『サガリバナ』を見ることは出来ませんでした(泣)
舞香花 サガリバナの写真
敷地の奥には古井戸もありました。
舞香花 サガリバナの写真
柵で囲われた一際大きな木があるんですが、たぶんこの木が『舞香花』の樹木なのでしょうね。
敷地奥の数本の樹木が立つ場所に柵で囲われた大きな木があり、その横に看板だったであろう木の板が立てられていたんですが、たぶんこの木が『舞香花』(サガリバナ)の木と思われます。

今回は、『舞香花(サガリバナ)』を見ることは出来ませんでしたが、6月~7月に時間を設けて『舞香花(サガリバナ)』を見に行ってみたいと思います。
(※参考⇒沖縄の名木百選『真喜屋のサガリバナ集落(舞香花 モーカバナ)』)

こちらを一通り見学した後、最後に真喜屋集落の南西側へと移動しました。

以前ご紹介した『アシャギ庭』や『のろ殿内』のある場所から西向けにおよそ140mほど進んで行くと、道路沿い右側に木々に囲われた祠があります。
つるかみの写真
『アシャギ庭』や『のろ殿内』などがある場所から西に約140mほど進んできたところ。
以前、ネットで調べてみると、こちらの祠は『つるかみ』と称される拝所なんだそうで、「上地重福」という人物が名護市真喜屋に寄進した香炉が3ヶ所にあり、その内の1基がこの『つるかみ』の拝所に納められているんだそうです。
※残りの2基は、以前ご紹介した『上之御嶽』に1基、そしてまだ足を運んでいない真喜屋集落に隣接する稲嶺集落内にある『真照喜屋(マディキヤウタキ)』に1基が、それぞれ納められているとのことです。
つるかみの拝所の写真
『つるかみ』の拝所。
祠は道路を背にして建てられていたので横から回り込んで前方に行くと、祠の上部に『つるかみ』と記されており、内部には数基の香炉が納められていました。
つるかみの拝所の写真
『つるかみ』の拝所の内部。
その納められている香炉に向かって一番右側にある一回り大きな香炉には漢字が刻まれていたんですが、この香炉が先述した「上地重福」という人物が寄進した香炉なのだそうです。
つるかみの拝所の写真
『つるかみ』の祠に収められていた「上地重福」が寄進した3基の香炉の内の1基。
また、祠の横には二人の人物の氏名が記された石碑が建立されていました。
つるかみの拝所の写真
『与那嶺栄吉』『久場川清昇』という二人の人物の氏名が記された寄贈者碑。
・・・と、こちらの『つるかみ』の拝所まで見学させて頂いた後、この日は予定していた時間も差し迫ってきていたので、このまま帰路に就きました。

先程、名護市稲嶺にある『真照喜屋御嶽(マディキヤウタキ)』にも「上地重福」という人物が寄進した3基の香炉のうちの1基が納められているとお話しましたが、また今度北部方面へ出かけた際には、その『真照喜屋御嶽』にも足を運んでみたいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『津波被災地跡』・『真喜屋のサガリバナ』・『つるかみ拝所』など☆

☆場所:〒905ー1143

      沖縄県名護市真喜屋

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。