八重瀬町具志頭の国道331号線沿いにある具志頭城跡の出城☆|沖縄放浪日記

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2017年6月17日土曜日

八重瀬町具志頭の国道331号線沿いにある具志頭城跡の出城☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(6月)の6日、南城市玉城にある『尚泰久王・安次富加那巴志の墓』『尚布里王子 並 うなざら之墓』等を見学した後、最後に八重瀬町具志頭にあるグスク跡を見学しに向かいました。

こちらのグスクは、以前ご紹介した同じ具志頭区内にある『具志頭城跡』の出城として築かれたそうなんですが、残念ながらこちらも石積みなどの遺構は残されていません。。。

沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭にある

『ミドリグスク』

ミドリグスクの写真
東側から見た『ミドリグスク』遠景
こちらは、八重瀬町の国道331号線507号線がぶつかる『具志頭』の交差点から、国道331号線を同町港川向けに約800mほど進んでいくと、国道沿い右側にあります。
ミドリグスクの写真
国道331号線から北向けに見た『ミドリグスク』(右側の小高い丘)
国道から丘の上へと伸びる小道へ入っていくと、頂上には墓地があり、その他にはソーラーパネルや畑などがありました。
ミドリグスクの写真
丘の頂上付近。正面に見えるのは『ソーラーパネル』で、その右側には墓地がありました。
ミドリグスクの写真
東側の森の中には畑もありました。
んで、グスク域北側の方へ行ってみると、斜面にも御墓が立ち並んでいましたね。

すると、御墓の間から北向けに小道が伸びていたので、そちらの方へ行ってみると・・・
ミドリグスクの写真
グスク域北側にあった2基の御墓と拝所(写真右側の香炉)
2基の御墓があり、その向かい側には香炉が1基置かれていました。

この香炉が置かれた場所も、どうやら"拝所"となっているようでしたね。

また、2基の御墓の後ろ側の斜面には、古墓がありました。
ミドリグスクの写真
北側斜面にあった古墓
小道は、2基の御墓で途切れていたので、先程のソーラーパネルのある場所へと引き返しました。

すると、立ち並ぶ御墓の後方に、開けた場所があるのを発見したので、そちらの方へ行ってみると・・・
ミドリグスクの写真
立ち並ぶ御墓の後方にあった拝所
その一角に小さな祠が設置されており、その右斜め後方には琉球石灰岩の奇岩がありました。

どうやらこちらも、"拝所"となっているようでしたね。
ミドリグスクの写真
グスク域北側の平場にあった拝所
ミドリグスクの写真
拝所の右側にあった石灰岩の奇岩
・・・と、こちらまで見学した後、今度は、グスク域を出て丘の東側へ行ってみることにしました。

国道から丘の上へと続く小道の入口横には、『中村内科胃腸科』という病院があるんですが、その病院の駐車場の一角にも拝所があります。
ミドリグスクの写真
水神が祀られた拝所(井戸跡)
ちょうど、こちらの拝所を撮影しようとした際に、病院のプランターに水やりをされている方がいらっしゃったので、こちらの拝所について少し伺ってみると・・・

うろ覚えな感じだったんですが、どうやら"水神"が祀られているらしいとのことでした。

また、ご親切にも国道沿いにある具志頭公民館の敷地内にも"拝所"があると教えて下さいました。
たきんちゃ河井の写真
たきんちゃ河井
なので、グスク域の東側へ向かう前に、一旦、具志頭公民館に立ち寄ってみると、公民館の国道に面した側の敷地内に、『たきんちゃ河井』と記された石碑の立つ拝所がありました。

こちらの拝所は、立派な祠状になっており、手前に香炉が1基置かれ、内部には井戸跡を示す筒状のものが設置されていました。
たきんちゃ河井の写真
『たきんちゃ河井』の香炉と内部の様子
んで、こちらの『たきんちゃ河井』を見学させて頂き、グスク域の東側へと向かいました。

公民館から『ミドリグスク』向けに進み、丘の上へ伸びる小道の入口から約70m手前右側の脇道へ右折し、道なりに突き当りまで進んで行きます。

すると・・・
ミドリグスクの写真
丘の東側に位置する開けた場所
木々と琉球石灰岩に囲まれた広場がありました。

小道から奥に向かって右側には小さな洞穴があり、左側は石灰岩の岩壁になっていました。
ミドリグスクの写真
広場の右側
ミドリグスクの写真
広場の左側
そして、広場北側の方には魔物が入って来ないようにするための魔除の役割をする『ヒンプン』らしき小さな塀が設置されており、その『ヒンプン』には"門中"名が記されていました。

んで、その『ヒンプン』を通過していくと、左側の岩壁の根元に立派な門中墓があり、右側の崖縁には"拝所"がありました。
ミドリグスクの写真
右から『スンザ』『ユヌヌシ』『ノウジマ』『リュウグウ』『ハナンダ』と記された拝所
石碑には、右から『スンザ』・『ユヌヌシ』・『ノウジマ』・『ハナンダ』と刻まれていたんですが、こちらがどういった拝所なのかは一切分かりませんでした。。。

・・・と、こちらの拝所を見学させてもらった後、今度は『ミドリグスク』の北側へ移動しました。
ミドリグスクの写真
グスク北側の国道上から見た『ミドリグスク』
グスク北側の国道を挟んで向かい側にある墓地には、『南風原按司守忠と花城親方の墓』があります。

『ミドリグスク』とは全然関係ないみたいなんですが、せっかくなのでこちらも見学してから帰ることにしました(笑)
南風原按司守忠と花城親方の墓(ミドリグスク)の写真
墓地の入口に立てられている石柱と標柱。
国道に接する墓地の入口横には石柱と標柱が立てられていたんですが、標柱の文字は消えかかってて判読できない状態でしたが、石柱には『阿氏南山守会』『南風原按司守忠』『花城親方守知』『墓入口』と刻まれていました。

そして、入口を入って左奥へ進んでいくと、その突き当りに『南風原按司守忠・花城親方守知之墓』と記された墓標が立てられた大小2基の御墓があり、その横に『具志頭教育委員会』の説明板が設置されていました。。
南風原按司守忠と花城親方の墓の写真
南風原按司守忠と花城親方の墓
その説明を読んでみると・・・

≪南風原按司守忠と花城親方の墓≫
≪南風原按司守忠は、南山王多魯毎の弟である。尚巴志が南山を亡ぼした時、南風原按司守忠は具志上間切に逃げて来て、安里大親の下にかくれた。

ところが、それが尚巴志に知られ守忠は久志間切汀間村にかくれた。そこで数年間かくれ住み、再び安里大親の下に帰りその娘を妻にして大親の子嗣となり一男を産んだ。これが唐名阿擢莘である。

やがて守忠は死んだので、白水川の洞穴に葬り後に那宇島に墓を築き、ここに移葬した。この墓を伊舎堂墓という。
南風原按司守忠と花城親方の墓の写真
右側が『南風原按司守忠の墓』で、左側が『花城親方の墓』
阿擢莘は、長じて具志頭間切同村屋富祖大親子の娘を妻にし、長女真嘉戸を生んだ。真嘉戸は長じて、知念間切氏知名親雲上成良の妻となり女の子を産んだ。

この子が、後に尚真王の夫人となり尚清王を産んだ思戸金按司加那志である。

それより後に、阿擢莘は尚真王の養父となり士籍に列せられ、首里に住むようになり、具志頭間切花城の脇地頭となり、花城村を領地として授けられ、以後、花城親方となる。
南風原按司守忠の墓の写真
南風原按司守忠の墓
花城親方は亡くなるとその死体は具志頭間切那宇島にある、父守忠の墓伊舎堂墓に葬られた。

那宇島にあった伊舎堂墓は、後に、現在の志保志原に移された。この伊舎堂墓が、南風原按司守忠とその子花城親方の墓である。
具志頭村教育委員会≫
・・・とありました。
花城親方の墓の写真
墓標と『花城親方の墓』
こちらの『南風原按司守忠と花城親方の墓』まで見学させて頂いた後、この日はそのまま帰宅の途に就きました。

『ミドリグスク』を見学して回っていた時に、具志頭公民館の敷地内にある拝所を教えて頂いた方のお話によると、具志頭区内には、他にも史跡がいくつか点在しているんだとか。

その中でも、風水に因んだ史跡があるんだそうで、一見の価値ありとのこと。

なので、また機会を設けて具志頭区内の史跡を見学しに行きたいですね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『ミドリグスク

☆場所:〒901-0512
      沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭

☆見 学:無料

☆駐車場:無し(頂上付近に軽自動車2台分ほどのスペースあり)

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