宮城島の標高約100mの台地に位置する沖縄県最大の集落跡とされる遺跡☆|沖縄放浪日記

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2017年6月20日火曜日

宮城島の標高約100mの台地に位置する沖縄県最大の集落跡とされる遺跡☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、うるま市役所近くにある大衆食堂『上州屋』さんをご紹介しましたが、こちらを出た後、同市与那城にある『宮城島』の史跡を見学しに向かいました。

まず最初に向かったのは、『宮城島』の中央からちょっと北側に位置する遺跡です。

こちらは、発掘調査が終了した後、保存のために埋め戻されてしまい、遺構などを見学することは出来ませんが、標高約100mの断崖に位置しており、宮城島の北東側や『伊計島』を一望することが出来るんですよ。

沖縄県うるま市与那城上原(宮城島)にある

『シヌグ堂バンタ』

シヌグ堂バンタの写真
『シヌグ堂バンタ』に建立された高離節の歌碑
こちらはまず、うるま市の県道10号線37号線がぶつかる『海中道路西口』の交差点から、県道10号線『海中道路』に進み、『平安座島』へ渡ります。

『平安座島』へ渡った後も、そのまま県道10号線を北上し、お隣の『宮城島』へ渡ります。
シヌグ堂バンタの写真
シヌグ堂バンタ
『平安座島』と『宮城島』繋ぐ小さな橋から、県道10号線を道なりに約600mほど進んでいくと、左側に一方通行の脇道がありますので、そちらへ左折します。

そして、県道から左折して、そのまま道なりに約2.1㎞ほど進んでいくど、道路沿い右側にあります。
シヌグ堂バンタの写真
『シヌグ堂バンタ』の北側の沿道には案内板も設置されています。
『シヌグ堂バンタ』の南側の沿道には、説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに・・・
シヌグ堂バンタの写真
南側の沿道に設置されていた説明板
≪シヌグ堂遺跡≫
≪シヌグ堂遺跡は、宮城島の標高約100mの台地に位置しています。

その東側の崖下には島最大の湧き水であるヤンガーがあり、遺跡に暮らしていた古代人にも重要な場所であったと考えられます。

この遺跡は、1933年(昭和8年)に沖縄考古学の父・多和田真淳によって発見され、「シヌグ堂貝塚」と名づけられました。
シヌグ堂バンタの写真
説明板に掲載されていた『シヌグ堂遺跡』の写真
その後は沖縄大学沖縄学生文化協会による表面調査や沖縄県教育委員会の本格的な発掘調査で、約2,500年前の40軒を超える竪穴住居跡が発見され、沖縄県最大の集落とわかりました。

土器、石器、貝製品、骨製品等が発見されており、現在は埋め戻しをして遺跡を保存しています。
設置:2011年3月 うるま市教育委員会≫
・・・とありました。
シヌグ堂バンタの写真
説明板の左後方にあった遊歩道
"遺跡"なのに、"バンタ"と呼ばれるのは、説明にもあったように、この場所は標高約100mの高台に位置しているからなんです。

"バンタ"とは、沖縄の方言で、"崖"とか"絶壁"を意味しており、本島内の観光スポットとして国頭村宜名真にある『茅打バンタ』が有名ですね。

んで、こちらもその断崖になっており、絶景ポイントとなっているんです。

・・・なので、"バンタ"と称されるようになったみたいです。
シヌグ堂バンタの写真
遊歩道を入って来たところ。この先に絶景が待っています!
説明板のある場所から、左後方に遊歩道があるので、そちらへ入っていくと、その先に絶景が広がっていました🎵

この日は、雲が多かったものの、とーってもいい天気で、凄く綺麗な景色が拝めました(笑)
シヌグ堂バンタの写真
『シヌグ堂バンタ』から見た景色🎵(真正面)
シヌグ堂バンタの写真
右側を見たところ。右奥に『果報バンタ』が見えますね🎵
シヌグ堂バンタの写真
左側を見ると、『伊計島』が一望でき、その奥に沖縄本島が見えました🎵
『シヌグ堂バンタ』からは、眼下に宮城島の上原・宮城の2集落が見え、その向こう側には太平洋が広がっており、超ぉ~気持ち良かったですよ🎵

また、右奥には宮城島の穴場の絶景スポットとして人気の『果報バンタ』が見え、左側には『宮城島』の北側に位置する『伊計島』の全景が見えました🎵
シヌグ堂バンタの写真
手前のこんもりとした丘の向こう側に見える平野が『伊計島』です⭐
また機会を設けて、『果報バンタ』の方にも足を運んでみたいと思います。

この『シヌグ堂バンタ』には、説明にもあった住居跡などの遺構は保存のために埋め戻されていて見学することは出来ませんが、この地に伝わる『琉歌』が刻まれた歌碑が建立されています。
シヌグ堂バンタの写真
『高離節』という琉歌が刻まれた歌碑と碑文
その歌碑の碑文を読んでみると・・・

≪碑 文≫
≪この付近の地名をシヌグ堂という。一郭には、宮城島(高離島)の先住の民たちが暮らしたシヌグ堂遺跡がある。この地に高離節という琉球古典音曲と共に伝わる琉歌の碑を建てることとなった。

歌の作者は、近世沖縄の和文学者として名高い平敷屋朝敏の妻・真亀(まがめ=一七〇〇~一七三九年)と伝わる。

タカハナリジマヤ ムヌシラシドゥクル ナムヌシヤビタン ワタチタボリ(音表記)

真亀は、夫・朝敏が王府によって処刑されたことに伴い、士族の身分を追われて農民へと落とされた。王都首里から下り下って、真亀が宮城島と結びついたのは奇遇としかないけれど、私たちはこの不思議な縁を大切にしたいと考えた。
シヌグ島バンタの写真
『高離節』の歌碑
一七〇〇年代の沖縄。時勢は暗くまさに激流のごとくであったと言うべきである。貧しい中で接してくれた島の人々。そのムヌシラシに対する感謝の念と、海の向こうにワタッテ、イキタイ切なる願い!

ナ、ムヌシヤビタンと悟ってはみても、人の母胎たる〈故郷〉への思いだけは遂に消し去ることは出来なかったのである。

文学と政治と島と農民たち。真亀と、島の先人たちの辛苦の時代を解きほぐしながら、高離節の軽やかなテンポに合せて沖縄の明るい未来について一考を巡らしてみるもよし。

この歌碑が、一名〈もの知らせの碑〉として永く後世に語り継がれることを念願する。
二〇〇二年八月十一日 「高離節」歌碑建立期成会≫
・・・とありました。
シヌグ堂バンタの写真
歌碑の手前右側に建立された碑文
この碑文にある『高離島(たかはなりじま)』とは、『宮城島』の別称なんだそうで、『宮城島』は、『ナーグシク』若しくは『ミヤグスクジマ』と称されているんだそうですよ。
※まぁ、多くはそのまま『みやぎじま』と称するのが、一般的ではありますが。。。

この歌碑と碑文周辺は、こまめに清掃などを行っているようで、とても綺麗な状態が保たれているんですが、あちらこちらに琉球石灰岩が顔をのぞかせてましたね。
シヌグ堂バンタの写真
歌碑の後方にあった開けた場所。琉球石灰岩があちらこちらに点在しています。
シヌグ堂バンタの写真
崖縁にあった琉球石灰岩
んで、"バンタ"の北側に位置する森の中に向って獣道が伸びていたので、もしかすると"拝所"などがあるのかな。。。と思い、そちらにもちょこっと行ってみたんですが、特に何もありませんでした。。。(泣)
シヌグ堂バンタの写真
うるま市の景観賞を受賞されているようですよ✨
・・・と、ここまで見学させて頂いた後、冒頭の説明にあった宮城島内最大の湧き水『ヤンガー』へと向かいました。

この続きは、また別の回にご紹介しましょうね。

『宮城島』を訪れた際には、こちらの『シヌグ堂バンタ』にも立ち寄って、絶景を楽しんでみてはいかがでしょうか?

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『シヌグ堂バンタ

☆場所:〒904-2424
      沖縄県うるま市与那城上原187 (宮城島)

☆見 学:無料

☆駐車場:あり