南城市大里地区南風原の集落内にある舜天王の墓と言われる御嶽☆|沖縄放浪日記

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2017年3月31日金曜日

南城市大里地区南風原の集落内にある舜天王の墓と言われる御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南城市大里大城にある『ウナザラのお墓』・『ウツーヌアジ墓群』を見学した後、その帰る途中に、同市大里字大里の南風原集落に立ち寄りました。

こちらも、以前から一度散策に訪れてみたかった集落の一つです。

んで、今回はその南風原集落の最高聖地とされる御嶽をご紹介しますね。

南城市大里字大里の南風原区にある

『食栄森御嶽(イイムイウタキ)

食栄森御嶽の写真
南城市大里字大里の南風原集落最高の聖地『食栄森御嶽』
こちらは、まず与那原町国道329号線県道77号線がぶつかる『上与那原』の交差点から、県道77号線に入り、約520mほど進んだところにある一つめの信号を左折します。

次に、県道から左折して道なりに約1.6㎞ほど進んだところにある左側の細い一方通行の脇道に左折し、道なりに約100mほど直進していくと、一方通行の小道沿い右側に『南風原農村公園』があり、『食栄森御嶽』はその敷地内にあります。
南風原農村公園 食栄森御嶽の写真
赤瓦屋根の家屋の裏にある小高い丘が『食栄森御嶽』です。
南風原農村公園 食栄森御嶽の写真
『南風原農村公園』の北側にある入口。左側に『食栄森御嶽』の標柱が立てられています。
『南風原農村公園』入口を入ると、すぐ目の前に神アシャギらしき赤瓦屋根の建物が見えます。

以前は、東屋だったみたいな建物だったようですが、現在はご覧の通りに改築され、屋内には祭壇が設けられており、2基の香炉が置かれ、拝所となっています。
食栄森御嶽の写真
『神アシャギ』らしき建物(左)。右側の建物は倉庫とトイレになっています。
食栄森御嶽の写真
『神アシャギ』内部。祭壇と向かって左側に香炉が1基ずつ置かれています。
この『神アシャギ』らしき建物のすぐ隣に説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。

≪食栄森御嶽(イイムイウタキ)
≪南城市有形民俗文化財≫
≪食栄森御嶽は、農村公園の東側の岩山頂上部分に位置しています。

御嶽は、高さ七〇センチメートル程の自然岩を利用した基壇上に建てられており、高さ一・一メートル程で石灰岩を丸く筒状に積み上げ、その上にむくりのついた丸い屋根石が乗せられ、頂上部分に宝珠が置かれています。

この御嶽の形式は大里地区の特徴的なものです。
食栄森御嶽の写真
『神アシャギ』の裏に『食栄森御嶽』の入口があります。
御嶽を中心として、南側に灯籠、北側に石碑が置かれています。

石碑には「ここに骨あり世に遠くしてその人知らず 然れども祟りありて嘉慶二十年八月ここに葬る」と記されています。

一説によれば、源為朝と大里按司の妹の間にできた舜天王の墓といわれている。

農村公園一帯には、食栄森御嶽以外にも南風原区の多くの御嶽が所在しています。
平成五年二月二日指定 沖縄県南城市教育委員会≫
・・・とありました。
食栄森御嶽の写真
『食栄森御嶽』入口。左右に灯籠が置かれていました。
食栄森御嶽の写真
入口内部。右寄りに香炉が置かれており、こちらも拝所となっていました。
説明を読み終えた後で、『食栄森御嶽』に向かいます。

御嶽の入口は、上の写真にある通り、『神アシャギ』の裏側にあります。

以前は、この入口半分が木の板で閉ざされた状態になっていたようで、その内部に棚が設けられていて、そこに香炉や花瓶が置かれていたみたいです。
食栄森御嶽の写真
『神アシャギ』裏の入口から『食栄森御嶽』へと続く階段。
んで、『神アシャギ』の改築が完了したので、その入口半分を仕切っていた棚にあった香炉や花瓶を、『神アシャギ』内に移設したのかもしれませんね。

入口を通過すると、急勾配の階段があり、そこを上っていくと『食栄森御嶽』が現われます。
食栄森御嶽の写真
食栄森御嶽
先程ご紹介した説明によると、中央にある円筒状の上に宝珠が乗せられたものが『食栄森御嶽』となるみたいですね。

南城市の公式HPにある調査報告書などの資料を見てみると、こちらも『ボーントゥ墓』と呼ばれているんだそうです。
※以前、ご紹介した南城市大里大城の『大城按司の墓』と同じ呼称ですね。
食栄森御嶽の写真
食栄森御嶽
『琉球国由来記』には『大里ノ嶽』と記されているらしく、神名は『ナカツモリノ御イベ』とのことです。

そして、御嶽に向かって左側にある石碑は、飯森(食栄森)の命名由来を刻銘した墓碑なんだそうです。
食栄森御嶽の墓碑の写真
命名由来が刻銘された墓碑
資料によると、表側には先程の説明にもあったように「爰に骨あり世遠くして その人しるへからつ然れとも 霊魂の祟りありて 嘉慶廿二年丁丑八月十日其 散骸を安置しけり」と記されているみたいですが、裏側にも銘文が刻まれているんだそうです。

その銘文は「不思議や其次夜神翁 来ていひもりと唱よと 告命あり仍而由来を 碑文に記之」となっているんだそうですよ。
食栄森御嶽の写真
御嶽に向かって右側の灯籠。
また、『沖縄県史編纂資料』によると、遥か昔、この部落を創立した人々を祭ったところだということで、この御嶽の敷地内にある草木を一切刈り取らなかったと記されているんだそうです。(『石碑概観ー県内の石碑採拓を通してー』より一部引用)

しかし、一八一七年になって丁重に供養したところ、その翌日の夜に神が現われ、その場所を「いひもり」と呼ぶようにという告命があり、その由来を碑文に刻銘したとのことです。(『石碑概観ー県内の石碑採拓を通してー』より一部引用)

上の写真の通り、石碑はほぼ中央あたりから二つに割れているんですが、未接合の状態なんだそうですよ。
食栄森御嶽の写真
『食栄森御嶽』から北へ伸びる小道の先にある拝所。
この『食栄森御嶽』のある場所から北へと伸びる小道があり、その先には小さな広場があって、広場の奥に小さな祠があります。

資料によると、こちらの拝所は『今帰仁城』への遥拝所なんだそうです。
食栄森御嶽の写真
今帰仁城への遥拝所。
『今帰仁城』への遥拝所まで見学した後、一旦、『神アシャギ』のある入口まで戻り、今度は園内南側を見学しに向かいました。

『神アシャギ』のある場所の南側から小さな遊歩道が伸びており、そこを入ってすぐ左側にも小さな香炉が2基置かれてました。
食栄森御嶽の写真
『神アシャギ』南側の遊歩道入口にあった2基の香炉。
そして、そこから東側、大きなガジュマルの木がある森の方へ向かうと、そちらにも遊歩道があり、その周辺一帯にもいくつかの拝所が点在してました。
食栄森御嶽の写真
『神アシャギ』南東側にある大きなガジュマルの木。根元と左側に拝所があります。
まずは、大きなガジュマルの木の根元付近と、その後方にある拝所を見学。
食栄森御嶽の写真
ガジュマルの木の根元付近にある拝所。『太陽岩』と刻まれた標柱が立てられていました。
ガジュマルの木に向かって左側には大きな岩があり、その手前に『太陽岩』と記された標柱が立てられていました。

また、ガジュマルの木は石灰岩上に立っており、その根元には小さな洞穴があって、その洞口に香炉が1基置かれてました。
食栄森御嶽の写真
太陽岩
食栄森御嶽の写真
ガジュマルの木の根元にある小さな洞口。香炉が1基置かれてました。
この『太陽岩』の拝所がある場所の後方に少し開けた場所があり、そこの岩壁の根元にも拝所がありました。
食栄森御嶽の写真
『太陽岩』後方の岩壁の根元にあった拝所。
そして、先程の遊歩道へ戻ると、2つの拝所があります。
食栄森御嶽の写真
ガジュマルの木が立つ場所の下方にある2基の『大瀬山』の拝所。
資料によるとこの2つの拝所は、どちらも『大瀬山』という拝所らしく、上の写真左から右へと少し傾斜しているんですよ。

んで、上の拝所は男子誕生に際して祈願する場所で、下の拝所は女子誕生に際して祈願する場所となっているんだそうです。
『大瀬山』と呼ばれる拝所
食栄森御嶽の写真
『大瀬山』と呼ばれる拝所。
この2つの拝所を後にして遊歩道をさらに奥へ進むと、その途中左側にも香炉が1基置かれています。

その拝所は『天川』と呼ばれる拝所なんだそうです。
食栄森御嶽の写真
『天川』と呼ばれる拝所。
そして、さらに奥へ進んでいくと、右側の岩の根元にも香炉が1基置かれており、そちらも拝所となっているようでした。
食栄森御嶽の写真
写真左側の岩の根元に香炉が1基置かれており、拝所となっているようでした。
こちらの拝所を後にし、遊歩道の終点まで進むと、左側に祠状の拝所がありました。
食栄森御嶽の写真
東ヌ御嶽(アガリヌウタキ)
こちらは『東ヌ御嶽(アガリヌウタキ)』と呼ばれる拝所なんだそうです。

遊歩道はこちらで行き止まりとなっているので、先程のガジュマルの木がある場所まで一度戻ります。

そして、そこから南側へと伸びる遊歩道へ進みます。

その南側へ伸びる遊歩道の途中に脇道があり、その先にも拝所がありました。
食栄森御嶽の写真
拝所
まず最初に現れたのは石で囲われた拝所。

南城市の公式HPにある各資料を見ると、その拝所の名称や由来などの情報が分からない拝所も多数あり、資料にも『拝所』としか明記されていません。

なので、こちらの石で囲われた拝所も名称不明でした。。。

そして次に現れたのは『美人堂』という拝所です。
食栄森御嶽の写真
美人堂
こちらは標柱に説明板が記されていたので、そちらを引用させて頂きます。

≪美人堂≫
≪女の子が生まれたら美人に育ちますようにと祈願したといわれる御嶽で、男子禁制だったという言い伝えもあります。

石灰岩造の四角錐の屋根には小さな宝珠が載っています。

御嶽の向かいに石造りの門柱の跡があり、南側に道が延びていた可能性があります。≫
・・・とありました。
食栄森御嶽の写真
美人堂
んで、こちらを見た後に遊歩道へ戻り、南側の公園出入口手前の脇道に入ると、そちらにも拝所がありました。
食栄森御嶽の写真
拝所
この拝所まで見学した後、一旦公園南側の出入口から道路に出ると、その出入口のすぐ隣に建物があるんですが、そちらには『小谷殿内門中(ウクルンチムンチュウ)』と書かれていました。
食栄森御嶽の写真
小谷殿内門中
食栄森御嶽の写真
本家小谷殿内(ムートゥヤーウクルンチ) 御霊位御在所
道路から『小谷殿内門中』の建物をサッと見学した後、公園の東側に向かいました。

すると、道路から上の方へと伸びる階段があり、そのすぐ隣にカー(井泉)がありました。
食栄森御嶽の写真
下ヌ井(シチャヌカー)
こちらのカー(井泉)は、『下ヌ井(シチャヌカー)』と呼ばれているんだそうで、こちらにも説明板が設置されていたので引用させて頂きます。

≪下ヌ井(シチャヌカー)≫
≪上ヌ井(イーヌカー)に対し下のほうにあるので下ヌ井と呼ばれます。

字が管理するムラガーで、水質もよく水量も豊富だったことから主に飲料水として使われ、簡易水道ができる以前は貴重な水源でした。

別名「さあし御川(うかー)」「サースガー」ともいいます。
食栄森御嶽の写真
下ヌ井(シチャヌカー)
「さあし」とは鍵のことで、昔は他集落の人が勝手に水を汲まないよう、井戸を囲い鍵をかけたことからそのように呼ばれたといいます。

大正時代に一部改築されており、上の梁には戦争の銃弾の跡が残っています。≫
・・・とありました。

『下ヌ井』から水道管のような配管が出てきてたので、現在も大事に使用されているようでした。

また、カー(井泉)のすぐ隣には祠状の拝所があり、香炉が1基置かれていましたね。

この『下ヌ井』を見学した後、階段を上っていくと、その途中左側にもまた香炉が1基置かれてました。
食栄森御嶽の写真
拝所
ほいで、階段をさらに上がっていくと、ちょうど『食栄森御嶽』の裏側の道路に出ました。
食栄森御嶽の写真
『食栄森御嶽』の裏側
そして、一番最初の『南風原農村公園』の入口に戻り、入口を入ってすぐ左側の細い階段を上がっていきました。
食栄森御嶽の写真
『南風原農村公園』入口から丘の上に伸びる細い階段。
その細い階段の先には開けた場所があり、大きな石碑が建立されていました。
食栄森御嶽の写真
慰霊塔(?)
その石碑には、何やら文字が3つ刻まれており、目を凝らしてよぉ~く読んでみると・・・

『慰・霊・塔』と刻銘されているっぽかったです。。。
食栄森御嶽の写真
慰霊塔(?)
また、この石碑の右側にある岩壁の根元にもカー(井泉)の跡がありました。
食栄森御嶽の写真
カー跡
・・・と、ここまで見学した後は、南風原集落内に点在しているその他の史跡を見学しに向かいました。

今回も、かなり長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にしましょーね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『食栄森御嶽』・『松尾御嶽』他

☆場所:〒901-1400
      沖縄県南城市大里字大里 (南風原区)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し