表筒男命・中筒男命・底筒男命の御三神が祀られている那覇市山下町の神社☆|沖縄放浪日記

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2017年1月3日火曜日

表筒男命・中筒男命・底筒男命の御三神が祀られている那覇市山下町の神社☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した那覇市国場の『がちまい処 すばやぁ』さんを出た後、次に向かったのは、同市山下町にある神社。。。

こちらは、昨年の6月にも1度訪れたことがあったんですが、その際、一ヵ所だけ撮影するのを忘れてしまってて、ブログに掲載するのを保留にしていたんですよ。

んで、その場所を撮影しに行く機会がなかなか無くて、掲載がかなり長引いてしまいました(泣)

・・・が、この日、時間に余裕があったんで、撮影しに行くことができ、よぉ~~~やっと掲載にこぎ着けました(笑)

沖縄県那覇市山下町にある
『住吉神社』
住吉神社の鳥居とシーサーの写真
神社入口には、沖縄の石獅子『シーサー』と鳥居が設置されていました。
こちらは、那覇市の国道331号線県道7号線がぶつかる『山下』の交差点から、国道331号線を同市垣花町向けに進み、最初の『垣花』の信号を左折、そのまま奥へ進むと道向かいの左斜め前方に『山下西児童公園』がありますので、その奥にあります。

『山下西児童公園』を入ると、すぐ目の前に『たちちがー』と呼ばれる井戸跡が保存されています。
たちちがーの写真
山下児童公園内にある『たちちがー』
この『たちちがー』は、かつては山下町や住吉町の人々が使用していた井戸なんだそうで、以前は『タチトゥジガー(太刀研ぎ井戸)』と呼ばれていたんだそうですよ。

んで、この『たちちがー』の後方には、奇妙な形をしたモニュメントが建立されていました。
山下西児童公園内のモニュメントの写真
『山下西児童公園』内にあるモニュメント
この『たちちがー』とモニュメントのある場所から、一段高くなった場所へ進むと、『住吉神社参道』と刻まれた標柱がある参道入口にたどり着きます。

また、参道入口に向かって右側の角には香炉が置かれており、こちらも拝所となっているようでした。
住吉神社の参道入口と香炉の写真
『住吉神社』参道入口。右側の角に香炉が1基置かれていました。
参道の階段を上がっていくと、大きなシーサー(石獅子)と鳥居が見えてきます。
住吉神社の参道の写真
『住吉神社』の参道の途中から上を見たところ。
住吉神社の参道終点の写真
参道の先には2頭のシーサー(石獅子)と住吉神社の鳥居が見えてきます。
住吉神社の鳥居とシーサーの写真
『住吉神社』の鳥居とシーサー(石獅子)。
住吉神社の鳥居のすぐ横には、『手水舎』と移設された三つのガー(井戸)が合祀されています。
住吉神社の手水舎の写真
『住吉神社』の『手水舎』。
『儀間の井』『湖城の井』『親井』の写真
移設された三つのガー(井戸)。左から『儀間の井』・『湖城の井』・『親井』。
そして、『手水舎』の隣にある階段を挟んで、移設された十一の拝所があり、その奥に『住吉神社』の社殿があります。
住吉神社と十一の拝所の写真
境内に移設された十一の拝所と『住吉神社』の社殿。
合祀された十一の拝所は、かつては『垣花町』に点在していたんだそうで、その『垣花町』は現在の那覇軍港内にあったんだそうです。

合祀された拝所の石板は八つ立てられているんですが、一つに合祀されている拝所もあり、合計十一建立されています。

合祀されている神殿に向かって右側から、『竜宮神』、『イベ神』、『屋良座森神』、『国元森の神』、『火の神』、『地頭火の神』、『国代の神』、『村代の神』、『土帝君』、『湖城の殿』、『儀間の殿』となっています。
合祀された十一の拝所の写真
合祀された十一の拝所
『住吉神社』の本殿と合祀された拝所の間に、『住吉神社並垣花各拝所復興記念碑』という石碑が建立されており、その説明が記されているので、引用させて頂きます。

≪住吉神社 並垣花各拝所復興記念碑≫
≪住吉神社は往昔儀間村の地頭で甘藷の伝播栽培法と木綿織および砂糖創製などで産業界の大恩人といわれている麻民六世儀間真常公が西暦一六一一年慶長十六年に尚寧王の随員として薩摩から帰国の時に海上守護の神として請来し当初儀間村の自宅内に奉安尊崇した。
祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命の御三神である。
竜宮神、イベ神、屋良座森神、国元森の神の写真
右から『竜宮神』と『イベ神』・『屋良座森神』、『国元森の神』。
神社や村人達の尊崇もあって間もなく那覇港南岸の住吉森に社殿を造営し爾来三百数十年にわたり垣花三町民および県民が尊崇して来たが昭和二十年初夏の沖縄戦において社殿は滅失し米軍の港湾工事で境内は住吉森とともに海没した。

戦後は垣花三町有志が山下町の東南の地に仮社殿を造営し尊崇して来たが近年に至り腐朽甚だしくなり再建の運びにいたった。
火の神、地頭火の神の写真
『火の神』、『地頭火の神』。
今ここに山下町西の殿の山中腹に良地を選び工事費二千萬円也で昭和五十六年八月二十二日起工、翌昭和五十七年三月十五日竣工、同時に垣花三町内の各拝所の合同神殿も併せて造営した。

住吉 垣花 山下の三町民ならびに県民の心の拠り所として尊崇し社殿復興落成を記念してその経緯を碑に刻銘し永く後世に伝承するものである。
昭和五十七年壬戌三月十五日≫
・・・とありました。
国代の神、村代の神、土帝君の写真
右から『国代の神』『村代の神』、『土帝君』。
湖城の殿、儀間の殿の写真
『湖城の殿』、『儀間の殿』。
境内の一番奥には、『表筒男命』・『中筒男命』・『底筒男命』の御三神が祀られている『住吉神社』の社殿があります。
住吉神社と住吉神社並垣花各拝所復興記念碑の写真
『住吉神社』の社殿と『住吉神社 並垣花各拝所復興記念碑』。
この『住吉神社』の社殿まで見学させて頂いた後、次に向かったのは境内からさらに上の森へと伸びる階段の先へ向かいました。
住吉神社の階段の写真
境内から上の森へと伸びる階段。
階段の先にあった森の中の小道。
階段を上がりきると、さらに上の方へと小道が続いてました。

んで、その小道を進んで行くと・・・
大城の殿と小さなガマの写真
『大城の殿』と刻まれた標柱が立てられた拝所と、その右奥に小さなガマ(洞穴)がありました。
『大城の殿』と刻まれた石柱と香炉が1基置かれた拝所があり、その右斜め後方には、小さなガマ(洞穴)がありました。
大城の殿の写真
『大城の殿』
大城の殿の後方にあったガマの写真
『大城の殿』の後方にあった小さなガマ(洞穴)と香炉。
ガマ(洞穴)の入口にも、香炉が1基置かれていたんですが、ガマの入口はネットで封鎖されていて内部に入れないようにされてました。

そして、この『大城の殿』と小さなガマ(洞穴)のある場所から、さらに上の方へと小道が続いており、その先へ行ってみると、那覇市金城の丘の上にある『がじゃんびら公園』の遊歩道に出ました。
『大城の殿』から『がじゃんびら公園』へ続く小道の写真
『大城の殿』と小さなガマのある場所からさらに上へと続く小道。
がじゃんびら公園の遊歩道の写真
小道を上がると『がじゃんびら公園』の遊歩道に出ました。
がじゃんびら公園側から見た小道の写真
『がじゃんびら公園』側から見た小道。かなり勾配がきつかったですね(泣)
『大城の殿』とガマがある場所からの小道は、勾配がかなりキツくなっており、『歩く』と言うよりは『登る』って感じでしたね(泣)

・・・と、ここまで見学した後は、来た道を戻ってクルマに乗り込み、次の目的地へと向かいました。

ここ那覇市山下町には、今回ご紹介した『住吉神社』の他にも、拝所やカー(井泉)、洞穴遺跡などが点在しているらしいので、また機会を設けて、町内を散策してみたいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『住吉神社』☆

☆場所:〒900-0027
      沖縄県那覇市山下町6 (山下西公園内)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し