◎浦添市西原発祥の地とされる公園☆|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2015年8月20日木曜日

◎浦添市西原発祥の地とされる公園☆

ハイサイ☆

今日の沖縄本島は、なかなかいい天気でしたが、台風の影響もあってか、少し風が強かったですねヽ(^。^)

その台風15号ですが、進路予想図を見ると、現在はフィリピンの東にあって、一時間に10kmの速度で西に進んでいる模様。。。

んで、明日以降から急に方向転換して、南西諸島に向かう予想になっているぢゃないですかぁ・・・Σ( ̄□ ̄;

速度がかなり遅くなっているので、今後の動き次第では、来週の旧盆に影響が出そうな気がしますね。。。

はぁ・・・また、台風対策しないといけないなんて・・・(泣)

今年は、ホント台風の当たり年ですな・・・(>_<ξ

さてさて☆

この前のブログ記事で、『西原東ガー・西原洗濯ガー』とゆー二つのカー(井泉)をご紹介させていただきましたが、この二つのカーのすぐお隣には公園があるんですよ。

その公園は、現在の浦添市西原集落の東側に位置していて、集落最大の御嶽と言われているんだそうです。

沖縄県浦添市西原にある
『うがんやま公園』
うがんやま公園の石碑☆
こちらは、浦添市の国道330号線から『西原東ガー・西原洗濯ガー』向けに入っていくと、この二つのカーを通過して、最初の十字路左側角にあります。

この公園の下側にある国道330号線の工事の際に、取り壊されそうになったみたいですが、貴重な遺跡であることが確認されたため、『伊祖の高御墓』や『浦添貝塚』同様に『西原トンネル』を造り、保存されることになったんだそうです。
公園内の様子☆右下の写真は、今年の1月頃に撮影したものです。
この公園内には、古棚原之殿跡、ビジュル跡、イビ、シマトイモウなどの史跡があるとのことでしたが、ワタクシが確認できたのは、シマトイモウの石碑とイビしか見つけることができませんでした。。。

まずは、公園内の丘の上にある『シマトイモウから。
シマトイモウ☆
『シマトイモウ』は、青年毛と書くみたですが、この漢字のとおり、青年達が集う場所とゆーことで、そう呼ばれるようになったのではないか?とのことです。

旧暦の3月3日に、拝み行事が行われた後、若者達が東(アガリ)と西(イリ)に別れて、東西どちらも発展するようにと願いを込めて、相撲をとっていたんだそうですよ。

お次は、公園内でも最も高い位置にあり、公園のずーっと奥にある『イビ』
イビに続く道
『琉球国由来記』にも、古棚原之嶽(神名カサモリキミノ御イベ)と記されているようで、『イビ』若しくは、『イベ』とも呼ばれ、この神様が宿る祠なんだそうです。

祠には、一九六〇年八月十八日と刻まれていました。
現在の西原町棚原は、おもろ時代には、浦添間切にぞくしていて、1737年に西原間切に移されることとなったようです。

『琉球国由来記』には、《浦添間切西原村の『古棚原之嶽』》と記されているようで、この『浦添間切西原村』とは、現在の浦添市西原のことなんだそうです。
古棚原之嶽(カサモリキミノ御イベ)
そして、この西原村と棚原村は、隣接していたのではと言われているみたいです。

現在の『うがんやま(拝山)』には、『古棚原之嶽』、『古棚原之殿跡』、『ビジル跡』などがあることから、この一帯が浦添市西原の古い村だったとゆー説が有力なのだそうです。

また、ある説によると、この『古棚原之嶽』は、昔、『浦添グスク』の北斜面、現在の『県立鏡が丘特別支援学校』がある場所にあり、そこが西原部落発祥の地であったが、その後、現在の『うがんやま(拝山)』に移されたとされているようです。
『イベ』に通ずる小道から宜野湾方面を臨む
名前の由来は、沖縄の方言で『北』のことを『ニシ』と言い、琉球国時代、首里の『北(ニシ)』に位置していることから、そうと呼ばれるようになったんだそうです。

この浦添市西原には、他にも文化的価値の高い史跡が点在しているので、少しずつご紹介していけたらと思います。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ    

☆『うがんやま公園・シマトイモウ』☆

☆場所:〒901-2101
      沖縄県浦添市西原

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ:公園内にあり