◎うるま市にあるユネスコ世界遺産(文化遺産)の城跡☆の続き( ̄▽ ̄)ノ|沖縄放浪日記

この記事をシェアする

2015年5月15日金曜日

◎うるま市にあるユネスコ世界遺産(文化遺産)の城跡☆の続き( ̄▽ ̄)ノ

今日の沖縄本島は、なかなかいい天気でしたね♪

風が、若干強いものの、日差しが強いためか、結構蒸し暑かったよぉな気がします(^。^;

今現在の週間天気予報でも、向こう一週間、ほとんど晴れマークになってるんですが、今年は空梅雨なんでしょーか。。。
水不足で断水になったりしないのかな・・・

・・・とまぁ、天気の話は、これくらいにして、今回は、前々回のお話の続きです☆

ユネスコ世界遺産に登録されている『勝連城跡』
勝連城跡の三の曲輪から一の曲輪を望む♪
今回は、写真を中心にご紹介しましょうね(≧▽≦)ノ☆

四の曲輪・三の曲輪を見終わった後、今度は、二の曲輪へ☆

この二の曲輪には、正面約17m、奥行き約14.5mの大きな殿舎跡があり、この建物は、勝連城の中で最も重要な建物であったと考えられてるんだそぉです。

また、殿舎跡の西側には、ウミチムン《火の神(ヒヌカン)》と呼ばれている場所や、北西側にあるウシヌジガマと呼ばれる洞穴があります。
(説明板より引用)
二の曲輪の『殿舎跡』
ウミチムンとは、『三個のかまど石』を意味する言葉で、沖縄では、琉球古来より、火の神が祀られています。

現在の沖縄の各家庭では、台所に『火の神(ヒヌカン)』を祀り、家内安全を願う風習があります。
ウミチムン《火の神(ヒヌカン)》
ウシヌジガマ
殿舎北西側のウシヌジガマは、自然洞穴らしく、『身に危険が及んだときに逃げ込む場所であった』と言われていて、一の曲輪にある『玉ノミウヂ御獄』脇にある洞穴と繋がっており、城主『阿麻和利』は、首里王府軍に攻め入られた際、ここを抜けて現在の読谷村まで逃げ延びた、とゆー伝説が残ってるんだそぉです。
『ウシヌジ』とは、『身を隠し、凌ぐ場所』という意味だそぉです。
(説明板より引用)
今度は、二の曲輪の北北西側に、一の曲輪に上がれる石畳道があります。

現在は、石畳道に沿って木製の階段が設置されてるんですが、かなり急勾配になってるので、足腰が弱い方は、気を付けて上がった方が良いですね(^-^)ノ
一の曲輪に続く石畳道☆
一の曲輪に向かう石畳道から見た二の曲輪と三の曲輪
この石段を上がると一の曲輪です☆
ここも、急勾配なので、気を付けて!(^^)!
一の曲輪は、1965年から数回にわたり、発掘調査が行われたんだそぉで、その調査結果からいろんなことがわかったんだそぉです。

土台になる岩盤を削って平坦にする大がかりな工事が行われ、瓦葺の建物があったんだそぉです。

沖縄の多くのグスクの中で、瓦葺の建物があったのは、現在のところ、この勝連城のほか、首里城浦添城だけなんだそぉですよ。
(説明板より引用)
一の曲輪
玉ノミウヂ御獄
この玉ノミウヂ御獄は、勝連を守護する大きな例席をご神体とする御獄なんだそぉで、こちらでは、かつて村の繁栄が祈願されていたみたいです。

霊石の表面が平坦になっていることから、グスク時代には、建物の基礎に利用されていたとみられているそぉですよ

また、発掘調査では、かつて一の曲輪には宝物殿のような建物があったことが分かっているんだそぉです。
(説明板より引用)
二の曲輪にあるウシヌジガマと繋がっている洞穴
一の曲輪の綺麗な石垣
この玉ノミウヂ御獄の霊石脇にある洞穴は、二の曲輪にあるウシヌジガマと繋がっていて、有事の際の避難路として使用されていたとされる伝説が残されているそぉです。

この一の曲輪は、勝連城跡の中で最も高い場所にあり、標高は約98mあるそぉで、南は、中城湾を眼下に、知念半島まで見渡せ、北は、金武湾を始め、現在の石川市や金武町の方まで見渡すことができます。

また、海中道路を始め、平安座島・浜比嘉島・藪地島も見渡すことができます♪
南側は、中城湾と、遠くの方に知念半島が見渡せます♪
現在の泡瀬方面♪
水平線上、左手前が平安座島、その次が宮城島、さらにその奥が伊計島☆
右側奥が、浜比嘉島。そして、ちょっと見えづらいですが、手前が藪地島です☆
北側、金武湾とその左側奥が金武町・宜野座村方面☆
この一の曲輪は、標高約100mもあるので、ほぼ360度のパノラマを楽しむことができるんですよ(^-^)b
この勝連城の最後の城主『阿麻和利』は、北谷間切屋良(現在の嘉手納町)で生まれたんだそぉで、とても優れた才能の持ち主であった阿麻和利は、勝連按司に使えてました。

領民の信望を得た阿麻和利は、悪政を働いていた9代城主・茂知附按司を倒し、勝連城の城主となり、本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、この勝連を大いに繁栄させたと伝承されているんだそぉです。
勝連城跡の北側をパノラマ撮影してみました♪
その様子は、沖縄の古謡『おもろさうし』にも、謳われています。

一 かつれんわ なおにきや たとゑる
   やまとの かまくらに たとゑる

又 きむたかは なおにきや

≪勝連は、なんにたとえようか、京都や鎌倉にたとえる 又 気高き勝連は、なんにたとえよう≫

一 かつれんの あまわり
   とひやくさ ちよわれ

又 きむたかの あまわり

又 かつれんと にせて

又 きむたかと にせて

≪勝連の阿麻和利、千年もこの国を治めよ、又 気高き按司阿麻和利よ 又 勝連にふさわしく 又 きむたかの名にふさわしく≫

勝連の按司となった阿麻和利は、宿敵、中城城主『護佐丸』を討ち、天下統一を夢見たが、王府軍に攻められて落城してしまい、勝連城は廃城になったと言われてるんだそぉです。
(護佐丸・阿麻和利の乱)
(説明板より引用)
一の曲輪の城壁側面
この勝連城跡を訪れた際には、領民の信望を得て、勝連文化の繁栄に力を注いだ阿麻和利や時代背景などを思い浮かべながら、見学してみてはいかがでしょうか?( ̄▽ ̄)ノ

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
一の曲輪を臨む
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
宜しければブログランキングへ クリックお願い致します。
ブログランキング・にほんブログ村へ 

☆『勝連城跡』情報☆

☆場所:〒904-2311
      沖縄県うるま市勝連南風原3908

☆問い合わせ:098-978-7373(勝連城跡休憩所)

☆無料駐車場:有り(勝連城跡休憩所)⇒利用時間9:00~18:00〔年末年始などは、時間変更有〕
※勝連城跡自体は、開放されているので、利用時間の規定無し。

☆販売機・トイレ:勝連城跡休憩所内に有り

☆入場料:無料

勝連城跡休憩所⇒年中無休(台風時などの災害時は閉館)