◎琉球史に名を残す名君・英祖王の父祖代々の居城o(^-^)o|沖縄放浪日記

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2015年4月11日土曜日

◎琉球史に名を残す名君・英祖王の父祖代々の居城o(^-^)o

う~ん・・・天気予報が当たり、沖縄本島はシトシト雨が降ってますねぇ。。。

んで、今日も一日、降水確率は30~40%で、曇りの予報・・・

来週の火曜日までは、こんな天気なんでしょーか・・・(^。^;
まぁ、雨の日も嫌いぢゃないんですけどねw

最近、飲食店の記事が続いてたので、久しぶりに史跡のお話です(笑)

以前、『浦添城跡・浦添よーどれ』のお話をしましたが、そこからクルマで5分くらいのトコにも、城跡があります☆

沖縄県浦添市伊祖にある
県指定史跡『伊祖城跡(いそじょうせき)
『伊祖城跡』の主郭へ上がれる階段♪
こちらは、浦添の国道58号線から県道153号線に入り、ずーっと直進して行くと、ちょうど県道251号線(パイプライン)との交わる交差点手前右側の『伊祖公園』内にあります☆

道路側は、駐車場も完備され、広場やアスレチックなどの遊具もあり、市民の憩いの場となってます♪

城跡は、その後ろ側の丘の上にあり、現在は、『伊祖神社』として祀られてます(^-^)b
駐車場隣りにはアスレチックなどが設営されています。
遊歩道から木製の階段が上に伸びており、そこから上がって行くことができるんですが・・・

綺麗に整備されてるのはここまでで、そこから先は、ゴツゴツした琉球石灰岩の階段になっていて、とても歩き辛かったです。。。

また、石段横は、急斜面になっていて、超ぉ~簡易的なロープが柵として置かれてるだけなので、ちょっと危険です( ̄~ ̄;
『伊祖神社』に上がって行く石畳の階段。柵は固定されてなく、ただ置いてあるだけ・・・
この木製の階段横には、城跡東側に続く石畳・石段と、琉球石灰岩を積み上げた城壁を見ることができます。

公園内では、このよぉな城壁が各所に残ってるので、至る所で見ることができますね。
城跡の石段☆かなり浸食が進んでいて歩きにくいです。
木製の階段の横にある城壁。公園内各所に点在しています。
んで、先程の石段を鳥居に向かって上って行くと・・・
『伊祖神社』の鳥居と参道☆
『伊祖神社』に続く参道が現れます。

この鳥居があった場所には、かつて『伊祖城』の城門があったんだそぉですよ(^^)b

んで、この鳥居には、去った沖縄戦の際の銃痕跡も多数残ってます。。。

この鳥居をくぐり、参道を奥へ進むと、『伊祖城』の主郭にあたる場所に出まして、現在は、1935年に建設された『伊祖神社』の神殿『英祖ノ宮』があります。

なぜ、ここに城が建造されてたのかというと、英祖王の父・恵祖が牧港の貿易管理に当たっていたためで、見張り所からは、沖縄最古の貿易港牧港を始め、宜野湾、北谷の海岸、読谷の残波岬、そして、慶良間諸島などを一望できるという攻防上、非常に有利な要害の地になっているからなんだそぉです。
『伊祖神社』神殿☆
「少しだけお邪魔させていただきます。」とご挨拶を済ませてから、撮影し始めました。
聖域ですからね。。。

この神社のちょっと手前には、ここが『伊祖城』だったことを示す、表示塔と『伊祖城跡』の説明書きの石板があります。

この説明書きによると・・・
≪伊祖城跡は、伊祖部落の北東方に位置し、東西に延びる標高50m~70mの琉球石灰岩の丘陵上に築かれた城(グスク)である。≫と書かれてました。
『伊祖城跡』の表示塔
また、≪伝承によると、伊祖城は英祖王(1229~1299年)の父祖代々の居城といわれ、英祖王もこの城で生まれたという≫とありました。

≪比較的規模の小さな城であるが、丘陵を取り囲む形で石垣が巡らされている。石積みは切石積み(きりいしづみ)と野面積み(のづらづみ)の両積石の技法が用いられ、東北向きの城門付近から本丸跡(現伊祖神社付近)にかけては切石積み、南西側の断崖上の崖縁は野面積みとなっている。

伊祖城跡の考古学的な調査はまだ実施されてないが、場内外からはグスク系土器や須恵器(すえき)、中国陶磁等が採集されている≫と書かれてました。
【≪≫内、説明書きより抜粋・引用】
『伊祖城跡』の説明板
・・・と!話を戻すと、以前はこの神社の横に、拝所と古い石碑があったみたいですが、現在は、『伊祖神社』の建設記念碑が新しく建て替えられてました。

園内の拝所は、この『伊祖神社』に合祀されたみたいです。
ちなみに、伊祖城跡一帯は、昔、伊祖村の御嶽《伊祖ノ獄》でもあるんだそぉですよ。

また、この神殿の斜め後ろ側には、『井戸跡』と拝所があります。
神社裏の小さな拝所
さらに、神社の脇から裏側に回り込むと、見張り所跡に登れる道があります。

見張り所跡に上がる石段を少し通りすぎ、ちょうど見張り所跡のほぼ真下辺りに、『龍球浦添世 奥間グシク按司 子孫~』のお墓がありました。
『龍球浦添世 奥間グシク按司 子孫~』のお墓
こちらにも、手を合わせ、さらに上に上がって行きます。

石段は、一度、踊り場みたいな場所に出て、そこからさらに見張り所へと続く石段があります。

その踊り場みたいな場所の奥側に、石垣で囲われた井戸跡みたいな穴があるんですが、あとで調べてみると、そこは、沖縄戦で日本兵が使用していた戦闘用のタコツボだったみたいですねΣ( ̄○ ̄;)
見張り所跡に上がる石段
写真中央のちょっと暗く窪んだトコが、戦闘用のタコツボなんだそぉです。
んで、ここを後にして、さらに石段を上がって行くと、よぉやく見張り所跡に到着です。
『伊祖城』の見張り所跡
この見張り所跡からは・・・
≪眼下に沖縄最古の貿易港牧港をはじめ宜野湾、北谷の海岸、読谷の残波岬、南西には慶良間諸島を望む雄大な景観を呈し、要害の地になっている。≫
【≪≫内、説明書きより引用】

と書かれてた通り、牧港・宜野湾・北谷の海岸線一帯・読谷村残波岬方面まで、一望できました。
見張り所跡から残波岬方面を望む。
この見張り所跡にも拝所がありまして、その手前には三角地点もありました。

また、この見張り所付近に、昔は旗を建てるための穴『旗立て』があったらしいんですが、沖縄戦の最中、旧日本軍が高射砲陣地を造るために、破壊してしまったんだそぉです。。。

・・・と!この見張り所跡でまでが、『伊祖城跡』の北側の部分です。

今度は、南西側の方に行ってみたんですが、南西側のお話はまた次の機会にしましょーね( ̄▽ ̄)ノ☆

少し長くなってしまいましたが、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『伊祖城跡(伊祖公園)』情報☆

☆場所:沖縄県浦添市伊祖3丁目48

☆施設あり(芝生広場・多目的広場など)

☆遊具あり(滑り台・砂場・ターザンロープなど)

☆駐車場:有り(利用時間⇒10:00~22:00)

☆販売機あり

☆トイレ:あり(男女別)

☆見学自由